壊してしまったんだ。

 少年が言う。僕が壊してしまったんだ。喘ぐように言う。部屋の中、電気もつけずに隅で蹲って、白い手で自分の肩を抱いて少年は言う。壊してしまったんだと繰り返す、少年こそが壊れているようだ。
 私は溜め息をついた。

「それがいったい何だと言うのだい?」

 びくり、少年が震える。曲げていた膝をもっと寄せて、壁に金髪を押し付けて、それ以上小さくなんてなれっこ無いだろうに縮こまる。
 折角の綺麗な髪が汚れてしまうじゃないか。踏み込めばぎゅっと瞑られる瞼。

「叶」

 名前を呼ぶ。それだけで碧眼が覗く。影を吸って藍色になった双玉には何も映らないけれど、私の顔を見上げてはいる。
 そっと金糸に指を通して梳く。この一週間ほど手入れを怠っていたらしい髪は途中で絡んで頭皮を引っ張った。幾本かが指に残る。それを床に払い落としながら、私は出来る限り穏やかに彼へ語りかけた。

「壊れてしまったのならね、それは所詮その程度のものだったのだよ。本当に価値のあるものは壊れたりしないものさ。いつまでも煩っているのではありません」

 見開いた瞳で此方を見るから私も見返す。また少年は震えた。寒いのだろうか。そういえば少年は薄着だ。
 家族が壊れてしまったんです。蚊の鳴くようにか細い声で少年が言う。もっと大きな声で言ってくれないと聞き取り難い。発言は相手が聞きやすいようにするべきだ。

「それがどうかしましたか?」

 俺が壊したんです。少年がまた言う。聞き飽きてきた。

「貴方がしたのは父親殺しでしょう。人間は壊したとは言いません、殺したと言うのですよ、叶」

 人間を物みたいに言って、悪い子だ。窘めれば少年は頭を左右に振った。違うというのか。可笑しな子供だ。そう思ったけれど頭ごなしに否定してばかりいては子供は育たないと聞く。子供を育てるというのは難しい。また溜め息が出た。

「私は何か間違ったことを言いましたか? 叶」

 少年が口ごもる。質問されて答えられないならば否定などするべきではない。

「いいですか、我々ウィッカにとって最も重要にして重大な事柄とは、真理の探究と追求、解明なのです。それ以外など全て瑣末な事です。それを、何です、壊れただの壊しただのといつまでも意固地になって拘って」
「アンタが俺に父さんを殺させたんだろう!!!?」

 唐突に少年が怒鳴った。私は驚いて言葉を止める。それから眉を顰めた。

「叶、目上の人が話しているのを遮ってはいけません。それに怒鳴るなどとはしたない」

 ひゅ、と奇妙な音がした。どうやら少年が息を呑んだらしい。その顔が歪む。唇が戦慄く。

「そのせいで、母さんは気が狂ってしまったんですよ……?」
「魔女は狂っているものですよ。狂気に飲まれるなどと情けないことです。彼女は魔女として失格ですね」

 東方の国出身の彼女はとても優れた魔女だと一目を置いていたというのに失望させられた。父親の方もそうだ。よりにもよって真理の探究を妨害するだなどと魔女らしからぬ行いだった。
 この子と、彼の兄には、ああはなって欲しくないものである。その為にも私たち先達がしっかりと導いてあげなければ。

「さぁ、叶、いい加減に駄々を捏ねるのはおやめなさい。やってもらわなければならない仕事が沢山あるのですから、休んでいる暇などありませんよ」

 真理へと至る道筋を阻害する抑止力を殺してきてください。
 それが、あなたが父親から引き継いだ、とても大切なお仕事なのですから。
 ”不幸”という現象そのものになり、他者を不幸にすることが貴方の使命なのですよ。

 出来るだけ重荷にならないよう気をつけて朗らかに伝えれば、少年は驚いたような顔をした。それはそうだろう。たったの7歳でこんなにも名誉ある職に就けるだなどとは思ってもいないことだったに違いない。
 
「協会のために、これから先、ずぅっと不幸でいてくださいね、叶」

 にっこりと、告げて小さな頭を撫でる。ほうけたまま、少年は急に涙を流し始めた。
 泣くほど喜んでくれるだなんて、あぁ、この子は将来有望だ。






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壊れているのは、誰なのか。