おい、――――。
 先駆する背中を呼び止めようとした老爺は、自身が相手の名前をまだ聞いていなかったことに思い至って荒い息を吐いたり吸ったりしながら舌打ちした。

 走るのなんていつ以来だろう。身体がミシミシギシギシと出来の悪いブリキ人形のように悲鳴を上げている。視界が明滅し、脇腹が刺すように痛い。腕も脚ももげそうだ。

 ――人間なんかに似せて作るンじゃあなかったぜ。

 口中のみで吐き捨てた。思うに二足歩行というのは走るのに向かないのではなかろうか。手先の自在さは便利だが、こういうときは四足の獣を写し身にしておけばよかったと肚立だしくなる。
 もっとも、先程から前を駆ける男は不自由など感じていないようだが。
 見た限りでは造りにそう違いがあるように見えないというのに、何故ああも風の如く駆けられるのだろうか。奇妙なものである。

 くだらぬことを考えていたら脚が縺れて転びかけた。塀にぶつかるようにしてもたれ掛かり立ち止まる。背中が遠ざかって行く。

「ちょ、っと、待てッ」

 なんとかそれだけを絞り出す。掠れ声だったが幸い先行していた人間の耳にはちゃんと届いたようで、息を整えている間に汚い足先が視界へ入ってきた。

「ジィさん体力無ェなァ」

 呆れているらしい。
 煩ェ莫迦野郎、と怒鳴ったつもりだったが、ヒューヒューと間抜けな音しか出てこなかった。

「道具使った方が良いンじゃねェのか? バスとか自転車とか、なんかそういうのがあるだろう街中には」
「金が無ェよ」

 老爺は一円も金銭を所有していない。自転車などはそもそも乗ろうと考えた事すらないからあったとしても意味がない。支えが無いと自立も出来ないような乗り物がどうして走るのか老爺にはまったく理解出来ないのだ。絶対に転ぶだろうアレ。
 不便だなァとなんだか少し憐れむような調子でぼやいた男は、数秒黙ると一段低い声を出した。

「なァ、ジィさん、アンタひょっとして弱いのか?」
「弱ェよ」

 即答した。

「俺ァただの樹だぞ。樹ってのはぽつねんと生えて朽ちるだけのモンだろう。それだけだよ。こうして人間の姿して化けて出てると勘違いされたりもするがな、俺に出来る事なんざ生き物連中と比べりゃあほんの僅かだよ」

 そりゃァ昔は多少の無茶も出来たが

「妖樹なんてなァ化け物の中でも低能の部類だよ。ただ無為に永く生えているってだけで能力といえば化けるぐらいしか無ェ。それも本体の周囲にしか現れられねェ」
「ジィさんは違うじゃねェか」
「俺は裏技使ってンだよ」
「裏技?」
「本体の一部分を持ち歩いている。そうすればそこも俺の領域になるンだ」

 懐に入れている煙管がそうである。
 言い終えると老爺は数度深呼吸をした。ぐんと背筋を伸ばして前方を見やる。どうやら無駄話をしている間になんとかまた走れる程度まで回復出来たようだ。
 そんな事よりもう行くぞと踏み出せば、まァ待てよと遮られた。

「待たねェよ急いでンだ」
「ジィさん、何で走ってるンだ?」

 転びかけた。

「人間が三丁目の洋館に居やがるからだろうがッ」

 この街に住んでいて知らない者は無いと云われる人形屋敷――
 そこに人間達は拠点を置いているとこの男は言った。近寄る者が無く、また広い洋館はなるほど確かに世間を憚る者共が潜むにはうってつけの場所であろう。ただ邸宅には侵入者を攻撃するビクスドールがある。うってつけであろうとは思っても、人間が本当に洋館を占拠しているだなんて真剣に想像はしなかった。

 思い到っていたならば小娘らを追い払う方便に使ったりはしなかっただろうに。

 奇しくも行方不明となっていた十六夜は真実洋館に居たのだ。ただそこには人間至上主義を掲げる連中も潜んでいた。しかも正体不明の兵器を持って。そこに小娘らまでもを行かせてしまうとは、己の迂闊さが恨めしい。
 しかし、そういう事じゃねェよと人間の男は言う。

「ジィさんは弱いンだろう。だったら走ったところで意味が無ェんじゃないのかい。邸に着いたとして、アンタどうする気だよ」
「それは――」

 どうにも出来ない。

「オレは世間知らずだから良く知らねェけどよ、こういう場合はまず保安官とか警察とか、そういう組織に連絡するのが道理なんじゃないのか。ジィさんが強いのならともかく、弱ェなら行ったってしょうがねェだろう」

 アイツラは強いぞ、なんせ特殊部隊だからな。化け物殺すのなんざわけねェよ。
 自慢でもするような口調で言った男はひゃひゃッと笑った。

「行ったら死ぬぞ。化け物は殺すのがオレ達の故郷の流儀だ」

 故郷――人間ばかりが暮らしていたという遠い異国。

「そんな国が本当にあるのか」

 気がつけば疑念が零れていた。
 男はきょとんと眼を瞬いている。

「あン?」
「手前ェの故郷の、なんとかいう国は、人間しかいない国で、世界征服なんて莫迦げた事を企てていたそうじゃねェか。俺にはそれがどうにも信じられねェ。出来の悪い絵空事にしか聞こえねェよ」

 ここは混在し合う世界だ。生殖能力を持つ種の中で純血を保っている者などはたして存在するかどうか疑問が浮かぶ。仮に人間ばかりの国があったとしても、対して混血はそれ以外の国総てだ。こんな世界の有り様をひっくり返そうだなんて真剣に考える莫迦がいるとは思えないし、そんな方法なんて無いだろう。手段が無いのならばいくら世界を変えてやると吠えたところで酔っ払いの戯言と大差無い。
 鴉天狗は何やら言っていたが――
 やっぱり絵空事としか思えないのだ。

「本当は違うンじゃあねェのか。全部方便で、本当は」

 人間なんて何処にもいないンじゃあないか。
 老爺の問いに男は、だから此処にいるじゃねェかと己の胸を叩く。

「オレが人間だ」
「どうだか」
「他は兎も角、オレだけは人間だよ」

 男の言い回しに疑念を抱いたがそれを問いにするより先に、そんなことよりもと男が言葉を続けた。

「今はジィさんの事だろう。行ったところできっと何も出来ずに死ぬぞ。ガキらは何せ子供だからまだ殺しちゃァいないかもしれないが、でもジィさんは躊躇い無く殺されるぞ」
「ガキは殺さねェのかい」
「ぱっと見が人間ならガキ殺すのァ厭だろう。そうでなくとも人間の姿してりゃァ殺し難いが、けどまァ居場所がバレちゃ不味いンだからジィさんは殺されるよ」
「そうかい。まァ俺の事ァいいよ別に」

 童らがまだ生きている可能性が充分にあるのならばそれだけでも有り難い。

「良くないだろう、死ぬンだぞ」
「どうでもいいンだよ其処のところは」
「理解らねェなァ」
「そうじゃなくって、警察はまずいだろう」
「何でだよ」

 ぱちくりと目を瞬く男の不思議そうな様子に、やっぱりコイツは莫迦ならしいと老爺は辟易した。

「お前さんが困るだろう」
「オレが?」
「手前ェの仲間なンじゃねェのか、邸にいるのは」

 この街へ来るまではずっと一緒に居たと言っていたではないか。だのに、男はきょとんと眼を瞬いて、それからさも不思議そうに頚を傾けた。

「仲間ァ? まァ確かに軍で働いていた連中だが、それだけの間柄だぞ。オレはアイツらの名前も知らないよ。聞いたかも知れねェが覚える気が無い。オレはオノレの名前すら覚えてねェんだから」

 そりゃァ手前に記憶力が無ェだけだろうと言えば男は臆面もなくそうともいうなと首肯した。やはり莫迦だ。
 そんな事は関係無ェよと脱線しかけた話題の軌道を元に戻す。

「手前ェの仲間は、というかお前さんも含めて、犯罪者だろう。鴉が追っているのだからどういう事情であれこの国の為にはならぬと判断されたのだろうよ。だったら確かに警察へ通報するとか引き渡すとかするのが筋だろうな」
「ほら、やっぱりそうじゃねェか」
「なんでそこで喜ぶンだよ。そうじゃなくって」

 禿頭を覆う包帯を擦る。

「いいのかよ」
「んあ?」
「俺が通報したら手前ェも連中も全員捕まるぞ。それは困るンじゃねェのかい」

 問いに返答はない。
 奇妙な間が生じて、その間を老爺は凝乎と男の貌を見詰めていた。見られている男の方はといえば、驚いた、と顔に書いたような貌をして押し黙っている。
 そのまましばし動作を止めていた男は、不意に少し考える素振りを見せると、

「オレは捕まらないよ」

 ――となんでもなく言って笑った。

「オレは強いからな」
「莫迦野郎、強くッても捕まるよ。警察には強いのが大勢いるし、強い奴を捕縛する為の道具やらが沢山あるンだから」
「そんなものは全部壊しちまうサ」
「そう容易い話じゃあないぞ。それに人間と化け物とならば化け物の方が断然強い」
「化け物を殺すのはいつだって人間なんだぜジィさん」

 だからジィさんも殺されるぜ。きっと容易く殺されるぜ。
 濁った黒が覗き込む。

「ジィさんが死ぬのはつまらねェよ。な、オレは捕まりゃしねェから警察に任せちまいなよジィさん。悪い事ァ言わねェからサ」

 なァなァと骨筋張った手が法衣を掴む。まるで駄々を捏ねる童だ。
 覗き込んでくる顔を手のひらで押し退けた。

「じゃあ訊くがな、警察に追い詰められたらお前どうする」
「殺すよ」

 あっさりとまぁ言ってくれる。頬を引き攣らせた老爺は押した手を翻しその額へ手刀を落としてやった。あいた、と男がほとんど反射だけで言う。

「だったら尚更警察なんぞ呼べねェよ莫迦野郎、この土地に棲んでる連中はな、皆が俺の身内みたいなものなンだぞ」

 この男の事だけではない。洋館にいる人間どもは何やら兵器を持っているというではないか。そんな危険な場所へこの街に棲む者を送り出すわけにはいかないと老爺は強く思う。

「わからねェなァ、警察とか軍人とかそういうのは死ぬのが仕事だろう」
「ンなわけがあるか莫迦、仕事で死ぬ確率が他より高いというだけで死ンじゃいけねェよ。そんなのは当たり前の事だろうが」

 警察だから死んでいい、などという理屈は絶対に無いのだ。職種や出自や階級や、そんなくだらない後付けで命の重い軽いが決められるなど命に対する侮辱でしかない。命はどんな者のそれも命である事実に変わり無く、命とはすべからく尊いものだと決まっている。

「この街の連中をひとりだって余所者に殺させたりするものか」

 憤懣顕に吐き捨てれば、男が不思議そうに頚を捻った。

「わからねェなァ、わからねェよジィさん。なんだってジィさんがそうやって気負うんだ? まるで街の連中の生き死にがぜんぶジィさんのせいみたいな気負い具合じゃあねェか」

 そんな言葉に、老爺は数瞬ばかし虚をつかれたように押し黙った。ゆるく見張っていた双眸を細くして、ああ、そうだったかと嘆息を交えてこぼす。疑問符を頭上へ並べる男の肩を促すようにして二度ゆるく叩くと、ゆるり進行方向へ歩き出した。――立ち止まっている時間が惜しい。

「オイ、待てよジィさん、行くなって」
「この国の名前は和国と言う」

 口火を切れば意図の呑み込めないらしい男が、はぁ、と気の抜けた声を漏らしたが黙殺して老爺は続ける。

「これは字で、正式にはニチワという名だ。日付の日に、和睦の和で日和。異国からはジャパンだとか奇妙な呼び方をされたりするらしいがこの理由は知らねェし今はどうでもいい」

 諦めたものか老爺の語りに興味を持ったか、男は黙ってついてくる。

「日和の日は太陽を意味するが、和とは調和を意味する。じゃあ何が調和しているかといえば、それはな、血だ」

 日和国の土壌は決して狭くも無いが広いとも言い難い。かつては巨大な一頭の龍であったと云われる奇妙な形状をしたこの島国に、他には類を見ないほど数多の種族が――つまりは血が――犇めいて暮らしている。

「現代じゃあ人間とか化け物とか、そういう単語すら知らない若いのも増えている。だが昔はまだ区別もあってな、人間どもが村だの里だのを造り出す頃にはもう俺達化け物にはある程度の決まりがあって、縄張りが出来上がっていた。その地で最も能力の高い者がヌシとなって治め、小者どもがヌシの庇護を求めて寄り集まる。そういう集が日和国全土にみっちりあった。やがて化け物と人間とが交ざって色々な取り決めが敷かれていったが、この仕組みは残された。何故なら土地を治め鎮め活かし暮らすためには、そういう強い能力を持つヤツが土地の守りをしなければならないからだ。でなくては土地の力が乱れて厄災を成す。この国はな、そういう場所なンだよ」

 何割かの妖者は人間と混ざったが、そもそも交配をしない妖者や物ノ怪はその何倍もいる。そういう連中は土地から湧くのだと云う。真偽のほどは老爺でさえ知らないが、正しく治められた土地からは分別ある化け物が生じ、混沌とした土地からは秩序を壊す化け物が生じるのだそうで、後者は多くが魔物と呼ばれて退治される。この魔物が、土地が成す厄災の大体だ。

「土地を治めるほど能力のある化け物をカムイと呼ぶ。上下の上に威厳の威と書く。上威は定住する土地を決めるとその地の力を抑えたり高めたりして均し、土地を守るが、その他にも自分の縄張りへ庇護を求めて来た者共を脅威から守り、ときには仲裁なんぞもやらねばならん。警察なんて職はな、昔は無くてそれは土地を治める上威の、即ちヌシの仕事だったンだよ」

 遠く、家を挟んで向こうの通りから子供らのはしゃぐ声が聞こえる。チリリン、と自転車のベル。街路樹がざわめき、遅れて柔い風が二人の間をすり抜けていった。淡々とコンクリートで平らに塗り固められた細路を歩く。
 喧騒は遠く、細路には切り離されたかのような静寂が停滞していた。
 すれ違う者も無い。
 老爺は続ける。

「街の連中は何事か変事があれば俺のところに話して聴かせに来てくれる。くっだらねェ些末事から他言無用の大事まで様々にな。何故だかわかるか?」

 返答は無い。

「そりゃァな、俺がこの土地のヌシだからだよ」

 溜め息でも吐き出すような調子で老爺は虚空を見上げてそう言った。
 張り巡らされた電線に縫われた青空がある。広がっているというには建物が邪魔だ。切り取られたかのような空は実際に広がる天空と比べれば点にも充たないほどにちっぽけだろう。その小ささに、老爺は己が治める土地を重ねて見る。
 樹老町、と命名された十丁目までの地域一帯が現在老爺の治める縄張りだ。昔はもっと広大だったが区画整備の折りに二割まで減らしてもらった。
 男が大きく足を動かし老爺の数歩先へ出る。

「ジィさんは弱いンじゃあなかったのかい」
「弱ェよ。しかも見ての通りのジジィだ」

 文字通り枯れている。枝に新緑がつかなくなってもう何百年経つか。

「弱いのにヌシなのか?」
「弱いのにヌシやってンだよ。この土地は地脈が強すぎて本来なら生き物なんざ棲んでいられねェんだ。その養分の大半を俺が吸い上げて空中に拡散させることでなんとかやってる。この土地のヌシ出来るような奴ァ俺以外にいなかったのサ」

 ヌシに必要な能力とは単なる破壊的な力ではない。それもあるいは必要な地もあるのかもしれないが、重要なのは土地の力を支配する能力だ。それと仲裁やらが出来る程度の脳があれば上々だろう。そして老爺はその両方を備えていた。
 ずぅっと、この土地と共に在り、この地で生きる数多の命を庇護するためだけにあの禿げ山の頂上に立っていたのだ。そして、きっとこれからもずっと

「わかったか、俺はこの土地のヌシだから、この土地で生きている連中に対して責任があるンだよ。しかも、知らぬ事だったとはいえ――」

 言いつつ斜めに男を睨む。

「人間のひとりを匿っちまった」
「俺か」
「おう、手前ェだよ。面倒見ると決めて住処までやっちまったからな、こうなると手前ェも俺の身内だ。俺は手前ェも守らねばならねェ」

 それがヌシを務める者の道理だ。
 ううん、と男が頚を捻る。

「待てよ、一気に言われて頭が螺切れそうだ。ええと、つまりジィさんは、ヌシだからガキやオレや警察も潜伏している隊の連中もみぃんな守るってェのか? 弱いのに身一つで、相手はジィさんを殺しにかかるってェのに?」
「俺は俺の身内の面倒を見るだけだ。それだけで、そんなにややこしい話じゃァねェよ」
「でもジィさん弱ェのだろう」
「弱ェけどヌシなのだから仕方があンめェよ」

 突き当たりを右へ曲がる。左の先は大通りだ。今は人目を極力避けたい。人目に触れれば見咎められるのは必定である。ヌシが動いたということは、すなわち街に起きた変事を治めに行くということに他ならない。単独と知られれば警察へ通報されるかもしれないし、そうでなくとも野次馬根性でついてくる者は出るだろう。ヌシが動くというのはそれほどの珍事なのだ。

 ――昔はそうでもなかったが。
 警察やら司法局やらと法や機関が整備されてからヌシの仕事はめっきり減った。
 それでもヌシが守護者である事実に如何程の違いも無い。やる事は変わっても、すべき務めに変わりは無い。

「連中まで守る必要があるのかよ」
「面倒だが、相手が武装しているなら警察連中と衝突はさせたくねェ。人死には御免だ。それに連中が捕まればお前さんの事を話すだろう。そうなりゃアンタが捕まるのも時間の問題だぜ。しかし、かといって諍いの種を街に置くわけにはいかねェ。だから、童ら助けたら警察や街の者共には適当を言っておくから、お前さんは仲間ァ連れて街を出ろ。何の用事があってこんな辺境の国まで脚運んだかは知らねェが、さほどでかくもねェ島だからうろついてちゃァいずれ捕まっちまうぜ。そうなる前に大陸へ逃げることをおすすめするが、まぁ、街を出た後は手前ェらの好きにやって、手前で尻を拭えばいい。俺の知った事じゃねェ」

 ヌシが守るのはあくまでも己が縄張りの内に居る者共だけだ。縄張りから出た者との縁はぷつりと途切れる。また戻ってくれば他と同じように温情を与えるが、戻って来なければそれまでだし、縄張りの外にいる間の守護は行わないのが通例だ。ヌシとは土地の支配者であり番人であって、個人の守護者では無いのである。

 ふいに、男が立ち止まった。
 数歩進んでからそれに気づいた老爺が振り返れば男は奇妙な表情を浮かべて立ち尽くしている。眉根をひそめた、いかにも不可解そうな貌だった。

「どうしたよ、何か問題でもあったか? ……あぁ、仲間の事か? なら心配するな、ひとりも殺さず助けるさ。いや、助けるとは言えねェか。追い出すンだものな。しかしこればかりはどうしようもないぞ。まさか街に住まわせるわけには」

 ジィさん、と、男が長台詞を遮った。

「あんた、どうやら勘違いをしているぞ」
「ァア? 勘違いだァ? どこに間違いがあるってンだ。街を出るのが不都合か? 強いから捕まらないとかそういう話ならば聞く耳は持たないからな」

 捲し立てれば男の貌がますます曇る。

「違ェよ、そういう話じゃねェ」
「だったら何が違うというよ。俺が何を勘違いしてるってンだ」
「オレにアイツらを助ける気は無い」

 空白がのし掛かった。
 今度は老爺が奇妙に貌を歪めて男を凝視る番だった。絹を翻すようにしてふたりの間を静かに風が通りすぎる。冬の名残を思わせるようなぞくりと冷たい風だった。
 老爺の眦がつり上がる。

「助ける気は無い、だァ? アイツらってのァ誰の事だ、まさか手前ェ、童らのことをいってやしないだろうな。ガキどもを生きて帰させる気は無いと、そう言いやしねェだろうな」
「そうじゃねェよジィさん」
「だったら」
「オレは――」

 ――人間どもから逃げてきたンだよ。