告白の意味を理解するのには酷く時間が掛かった。

「に、」

 声を出したのはぬいだ。

「にんげんをころすって、どういうこと」

 ――人間はあなた達でしょう……?
 問いかけに男はくつくつ嗤う。
 それを嫌な笑い方だと十六夜は思った。以前、街中で見掛けた酷く泥酔した中年がこんな笑い方をしていた気がする。
 自暴自棄な、自身に切りつける刃みたいな。

「そうだな、ひとつ、昔話をしてやろうか」

 唐突にそんなことを言い出すので、咄嗟に何とも返事出来なかったが子供らにはお構い無く男は話し始めた。

「あるところにひとりの男がいた。男の母はマーメイドとウィカチャっていう猫の獣人類の血が濃く、父はハルピュイアとリザードマンの血の濃い外見をしていたが、男はほとんど人間の外見で生まれてきた。男は異形の両親を嫌っていて、同じように異形の、つまり人間と違う外見をした連中を気持ち悪く思いながらすくすくと成長した」

 男は腕を組んで開いたままの扉の、右側の壁にもたれ掛かって続ける。

「やがて男はどこからどう見ても人間の身体をした女と結婚したが、生まれた子供は異形だった。女はそんな子供でも愛したが男にはそれが耐え難く気持ち悪かった」

 男の視線は壁で固定されている。顔には薄い笑みが張り付いていて、十六夜達はなんだかゾッとした。それは語られる内容に対する精神的衝撃も関係しているだろう。
 だって異形って、まるきり人間の姿をしているひとの方が珍しいのに。

 大部分が人間の姿でも、玉緒のように獣の耳や尾があったり、ぬいのように角が生えていたり、皮膚の所々に鱗があったり、十六夜だって鴉と人と二つの姿を持っているけれど、人の姿といったって人間と違って耳にひだみたいなのなんて無く羽根が覆っている。
 それも気持ちが悪いと言うのだろうか、このひとは。
 こんなの普通なのに。
 ……人間だから?

「そんな折に、男はとある国の噂を耳にした。人間だけが暮らす人間の国の話だ」

 はっと、十六夜は俯きかけていた顔をあげた。

「化け物だらけのこの世界で、その国はまさしく楽園のように思われた。いてもたってもいられなくなった男は、妻と子を置き去りに、職も棄ててその国へ入国し、その国の住民となった」

 それは、その国はソニア共和国だ。

「国には似たような奴らが大勢いて、そういう奴らだけで国が出来ていた。これがどういう意味かが分かるか?」

 ――全員、人間では無いってことさ。
 返答を待つ様子すらなく自ら言って男は短く乾いた笑みをこぼした。え、と十六夜の挙動が止まる。静止した脳みそが情報を反芻する。
 男が話しているのはソニア共和国のことだろう。間違いは無いように思う。そして男の語る"男"とは男自身の事だ。それに気づかないほど十六夜は鈍くない。
 だけどその国に住んで居たのは……みんな人間では、無い?

「うそだ」

 気がついたときには言葉が転がり出ていた。
 男が鼻で嗤う。

「事実だよ」
「うそだっ!!」

 今度ははっきりと自らの意思でもって十六夜は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。キリキリと胸の辺りが軋んで痛んで、そこから何か感情の塊がごぼごぼと溢れてくる。
 怒りと呼ぶには苦く、哀しんでいるというには激しく、鉛を飲んだように臓腑が重たくて、吐き出してしまいたいのに喉の奥でつっかえて唸り声しか出てこない。

 なんだこれ。
 眉間が焼けるように熱くて堅く眼を瞑った。
 瞼の裏でぐるぐると文字が廻る。

 ソニア共和国。
 人間の国。
 地球から来た異邦人。
 都市伝説の。
 うそ。

「紛れもない事実さ」

 男の声が降り注ぐ。

「人間に近い姿をしている連中が依り集まっているだけで、あそこに生粋の人間なんてひとりもいなかった」

 うそだ。

「人間の国なんて出鱈目さ」

 うそだうそだうそだ

「あの国に、人間なんていなかった」
「そんなの嘘だ!!」

 縛られた身体をくの字に折り曲げて有らん限りに叫んだ。裏返った声がキンと耳について、次には痛いほどの沈黙が室内に落ちる。
 うまく呼吸が出来なくて歯を食い縛った。
 瞼を強く瞑りすぎて視界が白のような黄のような色で染まっていく。
 なんだこれ。なんだよこれ。
 うぅ、と、口の端から獣のような呻き声が漏れる。
 なんで俺こんな泣きそうになってるんだ。
 なんでこんなに、こんな、

 人間の国。
 都市伝説として囁かれる人間の噂。

 きっとそこは、その国は、このリオネにある地球なんだって、この世界にある異世界なんだって、思ってて、すごいなって、思って、すごく、すごく、
 憧れていたのに。
 人間の国のことを考えたり想像したり調べたりするのは楽しかったのに。
 ――――人間なんて居なかったなんて、

「うそ、だ……った、なんて、ひどい」

 ひどい。そうだ、酷い。
 あんまりだ。
 酷い裏切りだ。
 憧れてたのに。
 まるで恋でもするように想っていたのに。焦がれていたのに。
 全部嘘だなんて。

「うそつき」

 男を睨んだけれど視界が滲んでよく見えない。
 嗚咽が喉に絡まる。
 うそつき。うそつき。しんじてたのに。
 なんだよ、化け物とか、人間だとか、
 自分だって――

「おまえだってばけものなんじゃないか!!」

 ――おんなじじゃないか。
 俺達と同じ化け物ではないか。

「なにが人間だよ、なにが化け物だよ、いっしょじゃないか、あ、あんたも、おれも、ぬいちゃんも、玉緒ちゃんも、いっしょじゃないか。化け物しかいないじゃないか」

 なにが人間の国だ。
 誰が化け物だよ。
 どの口で言ってんだよ。
 化け物の癖に。
 同じなのに。

「うそつき!!!」

 人間のフリをして騙すなんて酷い。
 弾けた非難が空気を裂く。
 落ちた沈黙の中で十六夜はしゃくりあげ嗚咽を噛み殺した。
 二人分の戸惑った視線がさ迷う。
 よく知った友人の始めて見る激情の吐露に、まだ絶対的に対人経験値の不足している彼女らではどう対応すればいいのか判断できないのだろう。
 ぼろぼろと頬を落ちる涙。友達の、男の子の泣き顔。
 なんだか見てはいけないものを見てしまっているような背徳感のような罪悪感のようなものがあって、二人は少年から視軸を外し明後日を向く。
 不意に、くつり、と
 男が嗤った。

「なんだ、お前も俺達と同類か」

 少女らは同じくして男を見る。
 右に傾いた逆さ三日月の口許に反する冷ややかな双眸。
 一抹の悲哀と、……憐憫?

「お前も――人間になりたかった口か」
「違う!!!」

 驚く間も入れず十六夜が怒鳴った。

「あんたたちなんかと一緒にすんな、俺は、人間がすきなだけだ、あこがれてただけだ。化け物でいることから、……自分自身であることから逃げた、お前と、お前なんかと、一緒にすんな!! おれは――」

 ――俺は鴉天狗の大烏十六夜だッ!!!!
 怒声が弾けて沈黙を生む。
 縄で両手足を縛られ、涙でぐしょぐしょの顔で、背筋を伸ばして、
 言い放った少年の眼差しはどこまでも直く純然で確と強い。
 知らず眼を瞠っていた男の貌がくしゃりと笑う。

「そうか」

 頷くような呟き。
 羨望と自嘲。

「そいつはすまなかったな、坊主。成る程確かにお前と俺達は違うらしい」

 お前の言う通りだよと男が笑い顔のままで言う。

「あの国は人間の国なんかじゃなく、逃避者達の国だ。自分を偽った駄目な連中が、周囲との齟齬に耐えきれずに造り出した嘘まみれの楽園さ」

 ――坊やに憧れて貰えるような良い場所じゃ無かった。

「差別と偏見と虚飾と傲りと、そんなものしか無い、くだらない国だったよ」
「嫌いだったの?」

 声に一同の視線が集まった。
 言葉を発したのはどうやら玉緒だったようで、彼女は視線を受けて慌てふためいた。注目を集めたのは意図しての事では無かったらしい。
 実直が美徳の彼女だから、きっと感じたままを口に出していただけなのだろう。
 玉緒は視線を游がせたり耳をパタパタさせたりしていたが、そう間を空けずにおずおずと男を見上げた。

「ええと……おじさんのいた国のこと、だよね? 今の。でも話してるときのおじさん、なんだか怒ってるみたいだったから、その、嫌いだったのかなぁって。その、自分のいた国のこと」

 ――私バカだから難しいことよくわっかんないんだけど、そう聞こえたから、そうなのかなぁって、思って。
 尻すぼみに言ってもごもごと両手首を縛る縄のあたりに口を埋めて黙った。ぺたん、と耳が頭に沿って閉じている。どうやら自分の言葉に自信が無いらしい。
 だけど間違いではないように十六夜も感じた。
 男の故郷を語る口振りは、表情には、眼差しからは、およそ郷愁の類いは視られない。
 けれど男は苦笑のような表情を浮かべると、嫌いじゃないさ。と言って瞳を軋ませた。

「あの国は……ソニアは、嫌いじゃない。俺が自分で選んで籍を置いた国だし、だから護る為にこうして軍職にまで就いた国だからな。思い入れも愛国心もあったさ」

 ――……アイツが造られるまでは。
 ぞっと背筋が冷たくなるような昏い声音の呟きと共に男の貌から笑みが消える。視軸を虚空へ投げるその双眸は氷河のように深く冷たく鋭い。
 これは憎しみの色だ。
 高々十数年しか生きていない少年にも理解るほどに顕著な、憎悪の感情が瞳のなかで燃えている。触れることが出来たならばきっとあまりの冷たさに焼き尽くされてしまうだろう。そんな冷たい焔が燃えていた。

「あいつ……って……?」

 問いに男が十六夜を向く。
 頬の筋肉が引き攣って、口角が持ち上げられた。
 だけど眼は笑っていない。

「人間さ」

 返答に眼を瞬く。

「え、でも、人間は」

 居ないって、居なかったって、おじさんが言ったのに。

「あぁ、あの国に人間は居なかった。だから、つくったんだよ」
「…………へ?」

 つい間抜けな声がこぼれた。
 その斜め後ろでぬいが、人造人間、と小さく呟く。
 ソニア共和国の人造人間――
 それは昨日の朝にぬいや玉緒と話題にした、数日前の新聞の記事だ。

「え、そ、それって、どういう」
「どうもこうも無い。人間に憧れて人間の国をつくって、今度は本当に本物の人間が欲しくなったんだよ。だから余分なDNA情報を持たない純血の人間とやらを造った。……と、政治的な背景や御託は色々あるが要約すればこういう事だ」

 努めてか至極あっさりと言われてしまい余計に混乱してしまう。

「本当だったんだ……」

 ぬいの驚嘆に充ちた独白が聞こえる。それはまさしく十六夜の感想とも合致していた。
 人間を造るだなんて、

「ソニアにはそんなすごい技術があったんだ……」
「いや、無かったよ」

 間髪入れずの言葉に空白が落ちた。
 その空白が槌で叩かれるようにして間延びする。

「………………、え?」

 漸く、やっとのことでそれだけの声が出た。その一語で疑問が決壊した。

「え、な、無かったってどういうこと……!? だだ、だって、人間を造ったって!」
「成功したのは一体だけだ」

 答える男の声は怒りを含んで苦い。

「この一度を偶然ととるか奇跡と見るかで意味合いは大きく異なる。そして国では大多数が奇跡だと考えた。神がこれを齎したのだと。……それが全ての始まりだった。終わりへの始まりの一歩だった。アイツが生まれたことで、俺達の国はおかしくなっちまった……!」

 怒鳴り散らしそうになるのを噛み殺し、それでも抑えきれない憤怒に声を震わせて、告げると男は短く深呼吸をした。険しかった表情が僅かばかり緩む。

「……アレは、狂気そのものだ。見る者関わる者の理性や整合性を喰らって狂奔へと駆り立てる。アレは何もかもを狂わせる磁場嵐のようなものだ」

 只存在するというだけで他者を狂わせる。

「それは」

 それは月だ。そして――
 男がひたと十六夜を見詰めた。

「アイツは存在するだけで一国さえ破滅に追いやった。もしその存在が知られればどの国も研究材料として欲しがるだろうが、とんでもない。きっと……否、必ず悲劇は繰り返されることになるだろう」

 ――我々にはそれを阻止する責任がある。アレを造り出してしまった国の者として。
 感情の殺された声が言う。

「だから、それが、俺達の任務なんだ」

 その為に此処まで来た。
 唯一の人間を殺すためだけに、この街へ。