――魔王とは宗教的な装置のことではなく、読んで字の如く魔の王の事であるらしい。
 もっと踏み込んで本質を云うならば、魔力を支配する者。なのだそうだ。

 助手席に座る猫又は語る。魔の者達と彼らが言い、人間が太古から忌み嫌いながらも惹かれたり溺れたりした、有名であるのに秘匿されている存在のことを。

 曰く、妖怪とか魔物だとかそんなふうに呼ばれる、人とは異なる法則で生きる者達を生む、世界の根源でたゆたう、エネルギーの塊があるらしい。
 そしてそれは一定の周期ごとに人格を持つのだという。ふらふらと漂う魂を飲み込んで、形を成し、それが「魔王」と呼ばれるモノになるのだそうな。ちなみにそうした動きは魔王に限ることではなく、人間やそれ以外の動植物、はては自然そのものにも起きている現象だと猫又は言うけれど、朋幸には何のことやらさっぱり見当がつかなかった。

「いわゆる、英雄だとか、神域だとか、そういうモンになりやすね」
「へー……?」

 そしてそうやって発生したモノ達は世界の摂理に強く縛られるそうで、何故かといえばそれは、そもそも世界が、世界を維持し継続するために、魔王その他を生み出すから……らしい。つまり魔王とは、自然現象の一環として発生する力場の一種類であり、その力場というのは世界に必要な装置の一つなのだ、という。

「いや、ややこしいよ。ってゆか、魔王ってアレだろ人類滅ぼしたりとかなんかそういう奴じゃねぇの」

 頭がこんがらがってきた朋幸の問いに又吉は肩を竦めたようだった。実際は首周りの筋肉を少し動かしただけだったのだが。

「戦を嗜んだ魔王様は確かにおりやす。しかし、人間を殲滅しようだなんて大それたことを考えた魔王様を、少なくともあっしは知りやせんね。だいたい、人間を滅ぼしてどうなるって言うんです? 魔の者達の大部分は、人間の精気やら血肉やらを餌にしておりやす。そんな者共が、人間を滅ぼす事を承知するとでも? 馬鹿馬鹿しい」
「あー……確かに、そりゃあ問題だよなぁ……」

 デメリットはあってもメリットが無いのではそんな大掛かりなことをする意味も必然性も無い。ただの徒労だ。

「じゃあさ、魔王っていう装置の役割って、何?」
「装置としてはそもそも存在するだけで機能しておりやすが、役割と云うならば、魔の者達の統治でございやす。人間様で言うところの、法律でございやすかね」
「……んん? 待て、魔王が法律なのか? 王制度? 国家社会主義?」
「魔王様は存在するだけで秩序になるのでございやすよ」
「…………???」

 まったくもって意味がわからない。疑問符を大量生産する朋幸に又吉はこほんと咳払いを一つした。前足をわざわざ口元に添えて。可愛い。

「例えるなら……そう、銀河のようなものでございやしょうか。宇宙という世界があり、魔の者達という星星がありやす。そこに、魔王様という太陽が生まれれば、それは人間様の言うところの太陽系になりやしょう? ただ、その影響力が届く範囲には限りがありやす。魔王様というのは、そういう存在なのでございやす」
「んー……、わかったようなわからんような……」
「まぁ、理解できずとも生きるに支障はありやせんからね、深く考えないことでさァ」

 結局そう締めくくられた説明に、朋幸は理解できないながらも、それもそうかと納得し思考を切り替えることにした。ところでバックミラーに映るその魔王が又吉の説明にところどころ首を傾げたり感心した様子だった事には突っ込むべきか否か。……気にしないでおこう。朋幸はまたひとつ頷いた。

 などと、そんなやりとりをしつつも車は細かく揺れながら同窓会の会場へ向かい走り続けている。
 会場となっている場所は駅前の通りにある、近隣ではそこそこ名の売れたホテルで、三年前に友達の結婚式が行われた場所でもあった。そんな情報と共に友人の事を思い浮かべる。

 月代真李亜、今は藤田真李亜になったのだったか。くるっくるのパーマ頭をいつもおしゃれに高く括り、可愛らしく自分を着飾っていた彼女は、朋幸とはおよそ正反対の外見をした女の子だった。”女らしい女性”と言われて朋幸が真っ先に思い浮かべるのは昔から真李亜その人である。外見どおりにコイバナとお洒落雑誌と服飾品と可愛い物が好きで、外見に似合わず鉄火肌な、朋幸の一番の友人。随分遅くなってしまったから、彼女の事だ、心配してくれているだろう。
 お互い都合が合わなくて、気づけば二年近くも音信不通だった。

 ――同窓会、行くでしょう?
 二月前に聴いた声が耳に甦る。
 ――実はさ、相談したいことがあるんだ。相談っていうか、そんな大した話じゃないんだけど。
 電話越しでなく、ちゃんと会って話したいのだと彼女は言った。少し疲れた声だったけれど決して弱々しくはなく、それでもなんだか心配になって直ぐに会おうかと訊いたのだけれど、それほど重大な話じゃないからと断られてしまって、

 真李亜は昔から弱音を吐くのが苦手な娘だった。自分の問題を、それがどんなに大変な事であったとしても他人に託す事を良しとせず、精神的に追い詰められ一杯一杯になるギリギリまで抱え込む、そういう人間なのだ。

 だから、今回の同窓会には必ず出ないといけないのである。

 大通りは駅前へと進む程に混雑していった。まだ帰宅ラッシュ真っ只中の時間なので当然だろう。それに、この先には高速道路の出入り口もあるので大型自動車や軽自動車の姿は尚更多く、多種多様の車種が広い道路を狭苦しく走行している。その合間をバスがのそのそと通り、歩道脇には客待ちのタクシーが列を成す。当然歩道にも人が溢れ反っていて、その殆どが朋幸と同じようなスーツ姿だ。
 そんな見慣れた坩堝を遠く見て、朋幸は車体を脇道へと回した。適当なところで歩道へ寄せて車を停める。するとミラー越しに魔王がこてんと首を傾げた。

「どうしてこんな所に停めるんだ」
「盗難車だろコレ。さすがにホテルの駐車場に停めるのはまずいだろーが。監視カメラとかあるんだから」

 検問を薙ぎ倒しておいて今更何を、という気もするが、現在運転しているのは朋幸なのだ。恐らく戸籍とか何もない魔王は警察がいくら調べても身許を特定されることは無いだろうが、一国民である朋幸はそうもいかない。なので検問をしていた者達には朋幸が誘拐されて盗難車に乗せられていると印象付けたのだから、あたかも共犯であるかのような映像を監視カメラに残すのは拙いのである。それで逮捕などされては堪ったものではない。

「だから車は此処に置いてくぞ。近くに交番もあるし、まぁよっぽど運が悪くない限り持ち主のところに戻るだろ」

 言って一応ハンドルをハンカチで拭いてから車を降りれば、遅れて魔王と、それから又吉も外へ出る。朋幸はうんっと一度伸びをして身体を解すとアスファルトにちょんと座る又吉の前にかがんだ。

「又吉さんは俺の肩な」
「こりゃァどうも、ありがてぇ」

 では遠慮なく、と肩へ飛び乗る又吉。軽快な動作に相応しくその体躯は随分軽い。そのくせ頬に触れる毛のなんと柔らかいことか。これならずっと乗せていたって構いやしないなぁと思っていれば、魔王がむすっと目を伏せた。

「おい、俺の肩に乗れ」
「おやまぁ嫉妬ですかぃ」
「そうだ」

 あっさり言うものである。

「仕様がありやせんねぇ」

 はぁやれやれ。呆れている事を隠そうともせず溜め息まで吐き出してから、軽やかに魔王の肩へ跳び移る又吉。失せた重みを少々残念がりつつ、キーを車内に置いたままロックをかけた朋幸がホテルへ爪先を向け――ふと、疑念を浮かべた。

「そういえば、魔王って絶対の秩序なんだろ? だったら又吉さんなんで魔王に結構ぞんざいに振る舞えんの。それとこれとは別?」
「へぇ、そりゃァ他の魔性ならば魔王様の視界に入っただけでも歓喜し平伏しやしょうが、あっしは先々代から魔王様の側仕えを務めさせていただいておりやすもので、まぁ、有り体に言やぁ馴れやした」
「ふーん」

 そういうもんか。よく分からないながらも感覚としては納得し歩き出すと、僅かに遅れて歩き出した魔王が隣に並んだ。それはさりげなく手を握れるぐらい近しい距離だったが、残念ながら朋幸は歩き出してすぐ左手の親指をスカートのポッケへ入れ、右手を肩から提げた黒いレザーポシェットのベルトへ固定してしまったのでどうしようもない。自然な動作は拒絶ではなくどうやら常の癖らしく、ぴんと背筋を伸ばして踵の高いストレッチブーツを踏み鳴らし肩で風を切るように歩く姿は如何にもキャリアウーマンといった風体で、手を繋ぐのを諦めて一歩下がった魔王は距離を保ちながらしげしげと見惚れて感嘆の息を吐く。かっこいい。呟きは吐息だけ。

 一方朋幸はといえば魔王の熱っぽい視線になど気づかず女性にしては長いコンパスを存分に活用し目当てのホテルの側面へたどり着くと、曲がってさらに前進し、やがて大通りへと歩み出た。地下駐車場の出口の前まで進んだところで、ふと、視界の端に、妙に眼を引くものを見つけて歩を止める。

 雑踏の中で驚くほどに鮮やかなハニーブロンドが風に踊った。
 一瞬、朋幸は呼吸を忘れる。

 ホテルの正面に佇立し見上げる男がいた。男の筈だ。その中性的な横顔は息を呑まされるほどに整っているけれど、黒みの強いグレイのトレンチコートに包まれた身体は肩幅もあるし長身で、がっしりとしつつもストンと真っ直ぐだ。それにしても佇む様はそれだけで完成された絵画のような完全美である。

 不意に、ジェードグリーンとぶつかった。
 乳白色へ僅かに桃色を乗せて馴染ませたような白人種の肌。左頬に泣きボクロ。ぷくりと丸みのある小さな唇は紅でも塗ったように赤い。
 けれど何よりも、その、瞳。
 なんて濃い翡翠色。

 作り物めいた肉体がその瞳だけで息づいている。そう朋幸には感じられた。濁っているとさえ言えるほどに色濃く、私は生き物だと主張している。故に完全美のなかで瞳だけが不完全で、故に、男は信じられないほどに美しかった。

 不審の色を隠そうともせず浮かべた双眸は、やがて交わる視線をぶつりと切って身体ごと逸らされた。ハニーブロンドが翻る。朋幸らに背中を向けて、男はそのまま雑踏に紛れて行ってしまった。
 ほう……と、男の背中が見えなくなって漸く、朋幸は長い感嘆の息を吐く。

「すっげぇ……あんな美人な男が世の中にはいるもんなんだなぁ……」

 邂逅はほんの数秒程度だっただろうに、なんて濃密な時間。意識も思考も浚われるほどに、美しいと思ったのだ。あの瞳が。
 魔王といい、まったく今日は見目の整った者に縁のある日らしい。しかし良いものを見た。綺麗な人だったなぁと感覚の共有を求めて上機嫌に振り返れば、魔王は憮然とした表情で朋幸を見つめていて、

「ん? なんだよ、どした」
「……別に」

 なんでもない。呟いて朋幸を追い越し歩き出してしまう。なんなんだ、と首を傾げはしたが、まぁなんでもないと言うのだからなんでもないんだろうと納得すると、朋幸もまたホテルへと歩き出したのだった。


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