同窓会会場、と書いてある看板の、高校名と何期卒業生かを確認してから大沢朋幸は両開きのドアを開けた。途端に楽しげな笑い声や話し声で構成される騒がしい音波に頭からすっぽりと飲み込まれる。電灯にきらきらと照らされた広い室内で笑い合う同年代の人、人、人。学年合同での開催だからかなりの人数だ。テーブルや椅子はあるが立食式だからか立っている人の割合の方がずっと多い。

 予想以上の規模に、おおこれはすごいなと入ってすぐ立ち止まっていた朋幸へ、横手から猛然とタックルをかますごとく抱きついた。

「うどわ」
「朋幸、おっそい!!!」

 ぎゅうぎゅうと抱きつきながらその人物はぱっと顔を上げて言い放つ。綺麗に化粧衣装で己を飾り人工色の茶色いサイドテールを揺らす女性が誰だか気づいて、喜色満面今度は朋幸の方が彼女の細い首に抱きついた。

「マリア!!! ひさしぶりーっ!!!!」
「あははほんと久しぶり、朋幸!」

 化粧が崩れることもいとわず抱き締め返している彼女こそが朋幸の級友、藤田真李亜その人だ。一頻り再会を喜んでから体を離すと、真李亜は腰に手を当てて細く整えられた眉尻を吊り上げて朋幸を睨め上げた。

「で? どうしてこんなに遅くなったのよ。仕事終わった今から向かうってメールが来てから、もう一時間以上経ってるわよ。職場から二十分もあれば余裕で着くって言っていたのに全然来ないから、途中で事故にでも遭ったんじゃないかって心配してたんだから」

 言う口調は確かに怒っているというより心配の方が多分に滲んでいて、視線はまさか怪我などしてはいまいかと忙しなく朋幸の脚やら腕やらを行き来している。そんな友人の様子にくすぐったく笑った朋幸は、身体ごと背後を振り返った。扉のすぐ前を塞ぎ置物の如く硬直している魔王を視線で示す。

「なんか途中でアイツに捕まってさー。なんかもうしつこいしよくわかんねぇから連れてきたんだけど」
「あら、どちらさま?」
「魔王なんだって」
「……は?」
「朋幸! 久しぶりだなー!」
「おージュンちゃん!」

 言葉の意味を飲み込む前に同級生らが集まりだしたものだから、真李亜は問う機会を失ってしまい困ったような困惑したような曖昧な顔で元部活仲間とはしゃぐ朋幸を見て、それから魔王へと視線をやった。首に巻いている猫は、あれはまさか本物だろうか。というか、聞き間違いでなければ魔王とか言わなかったか。などと悩む。

「それで、あの人は連れ? どういう知り合い?」

 問を口にしたのは真李亜ではなく朋幸を囲む同級生らの一人だ。昔も今も好奇心が強いらしい彼女に真李亜は感謝し――そうになってから慌てた。こういう場合あの親友は、

「知り合いっつーか知り合ったばっかなんだけどなー、なんか俺から離れたく無いらしいから連れてきたんだわ」

 ええっ、とどよめく面々に、真李亜は、あぁやっぱりと額を抑えた。あまりにも率直に事実を話すから、聞く側はよく事情を曲解してしまう。

「それナンパじゃん! なになに、連れてきたって事は付き合ったげるの? やっるぅ」

 などと盛り上がる女性陣。こうして見ていると高校生の頃からまるで成長しているようには見えない。ここから朋幸が質問攻めにされて玩具にされるのを一頻り眺めてから割入って回収するのが高校の頃のテンプレートだったなぁ、なんて真李亜は懐かしく思う。

「付き合う? まぁそうだな、なんかもうしつこいし面倒臭いから気が済むまでは付き合うつもり」

 きゃあ、とまた女性陣が盛り上がる。付き合うの意味が違うことなんて、たぶん大半がわかっていて盛り上がっているのだろう。何せ、朋幸の左薬指にはめられた指輪の事はあまりにも有名だったのだから。
 二千円ほどだった指輪がプラチナとは、随分出世したものよねと真李亜はこっそり溜息を吐いた。高校を卒業して、最初の給料で買ったのだと言っていた誓いの指輪が健在であることに、少なからず思う所がある。
 死者との婚約だなんて。
 ……何を言ったとてあの頑固者は聞く耳なんて持ってないのだけれど。
 ふぅ、とまた溜息。いっそ本当にどうこうなればいいのにと思うが、どこの馬の骨とも知れない男に親友を任せるのもそれはそれで嫌だとも思うわけで、

「それで、彼、なんていうの?」
「魔王」
「マオ? 変わった名前ねー」
「イマドキっぽいー」

 よろしくねマオ君、などと、今度は例の男を囲み始める女性陣。男の方はといえば質問攻めに、あぁ、とか、うん、とか口数少なく返事をしている。表情は変わりがないけれど、目の動きからなんとなく慌てふためいているように見えた。かといって助けに入る気は真李亜にはないのだが。
 下がっていた距離を大股で詰め、むんずと級友の腕を捕まえた。

「トモ、あっちのバイキング食べましょう」
「うん」

 などとさりげなく人が少ない位置へ誘導。途中すがるような魔王とかいう男の視線に気づいたけれど、笑顔でひらりと手を振るだけで放っておいた。朋幸が会ったばかりと言うならば誇張なく本当につい先程会ったばかりなのだろうし、助ける義理は真李亜に無い。むしろそのまま立派に囮を果たしていてねとしか思っていない。ちなみに朋幸が初対面の相手を旧知の友のように連れてきたりするのは実は珍しい事ではないので、真李亜のそんな対応は慣れたものだ。
 そんなフリーダムな友人が皿へ料理を選び終わるのを待ってから真李亜は口を開く。

「それで、どういうことなの?」
「なにが?」
「あの子よ。ま・お・う、とか聞こえたけど?」
「あぁうん、魔王なんだってさアイツ」

 あんまりにも当たり前の口調で言うものだから、へーそうなんだーと流してしまいそうになる。けれど、そこは伊達に朋幸の友人をやっていない。

「魔王って、まさかサタンとかそういう系じゃないわよね?」
「俺も最初そう思ったんだけどさ、なんかそういうのじゃねぇんだって。なんかこう、エネルギー的なものがあって世界の仕組みで魔王になるらしいよ」
「……へー」

 頭が痛くなってきた。真李亜は軽く額を抑える。相談事をするつもりだったのに、どうしてこうこの子はそれ以上の問題をひっさげて来るのか。
 ……いつものことか。
 溜息を吐くのも馬鹿らしくなってきた。

「まぁ、それはいいわ。電波系とかイマドキ珍しくもないしね、うん。とりあえず変な宗教とかに入れられたり壺とか買わされたりとかしないようには気をつけなさいよ」
「ははは、マリアは心配性だなぁ」
「あんたが自分に無頓着すぎるから、その分を余剰に心配してるだけよ。ほんと気をつけなさいよ?」
「うん、ありがとうマリア」
「どういたしまして」

 肩をそびやかしつつ応じるが、どうせ暖簾に腕押し、糠に釘。馬に有難い説法が理解できないようにいくら忠告したところで効果など無いのだろうなぁと真李亜は確信している。今までだってそうなのだ。いくら言葉を尽くして説得したって、そもそも”気をつける”というのがどういう事かを朋幸は根本的に理解出来ない。理解しないとか、しようとしないとか、そういう次元の問題であれば説得のし甲斐もまだあろうが、理解出来ないのだからお手上げである。だからそれにすっかり慣れてしまった真李亜はこうして忠告はして、あとは様子を気にしたり、困ったことになってから手を出すのが常なのだ。真李亜には、今回もきっとそうなるだろうなぁ、という予感があった。

「そんな事よりもマリア」

 口を開いてから、あー、と言い淀む。何か言葉を探しているらしい。

「……ええと、相談事って」

 が、結局率直に言ったのは、きっと迂遠な言い回しが思い浮かばなかったのだろう。迂遠な言い回しなど出来た試しが無いのだから、その気遣いだけで十分に嬉しかった。苦笑のような微笑を口元に乗せ、ああ、うん、と頷きながら周囲を伺う。油断ならないヒヨドリ達はまだ魔王とやらにかかりきりだ。他に聞き耳を立てていそうな人はいない。
 いや、別に大した話じゃないんだけど。
 そう、大した事じゃないから、余計に騒ぎ立てられるのが嫌で、だから真李亜は浅く深呼吸をすると、一息に、ことさらどうでもいい事のように少しおどけた口調で告げた。

「私、離婚したの」
「へー」

 間が開いた。

「……へ?!」
「騒がないでよ、大したことじゃないんだから」
「え、いや、でも、えぇ」

 さしもの朋幸もこの告白には相当魂消たらしい。あわあわと狼狽える姿に苦笑が浮かぶ。

「それで今妊娠四ヶ月目なんだけど」
「よっ、に、え!?」
「騒がないでったら。ここまではちゃんと直接話しといた方がいいかなって思ったことで、相談は別なのよ」
「えええ」

 心底慌てた様子の親友に真李亜はとうとう我慢できずにくすくすと笑い出した。実はこの反応が直に見たくて会ってから話すなんて言ったのだとか、言えばどんな反応が返ってくることやら。まぁ、それを教えるつもりは無いのだが。
 そう、相談事は別なのだ。真李亜はまた、浅く深呼吸をした。

「実はね」
「ユッキー! 彼が呼んでるよー」

 びりり、と引き絞られた空気が破られた。

「ほら、一人にしてちゃ可哀想じゃない」

 囲んでおいて何を、とは言わぬが華というやつだ。背中を押された魔王が所在なさそうに朋幸の隣に立つ。あぁ、うん、とか曖昧に返しながら朋幸がちらと視線を寄越したものだから、真李亜は肩を竦めてみせた。

「……後で話すわ」

 二次会には行けそうにない。



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