「ストーカー?」
「うん、そう」

 場所は変わって近くのジャンクフード店。二次会を断り入ったそこで、角席を確保した朋幸と真李亜はポテトとジュースを挟み向かい合いに座っていた。蛇足として魔王は朋幸の隣を陣取って大人しくハンバーガーにかぶりついている。

「あの人と別れる前からね、洗濯物がときどき無くなってたり、後をつけられてる気がしたり、無言電話が来たり、ゴミ捨て場が荒らされていたりって、あったんだけど、時々だったし気にしてなかったのよね。で、最近になってなんというか……露骨になってきたのよ」
「ろこつ……」
「うん。留守電にメッセージが残されてたり、自転車のカゴに花が置いてあったり、メッセージカードとか」

 言いながら手提げ鞄から取り出した紙束を真李亜はテーブルの上に置いた。輪ゴムで束ねられたそれは、ざっと見て三十枚ほどか。

「それでも一部なの。先々月からはほぼ毎日だから、結構な数よ」
「残してるんだ」
「最初の何枚かは捨てちゃったわ。けど警察に相談したら、証拠になるから残しとけって。留守電もだからとっといてあるの。さすがに持ってきてないけど」

 話を聞きながら朋幸は紙束を手に取り、輪ゴムを外した。一番上の一枚を手に取ってみる。名刺に似た手触りのメッセージカードは白地で、大きくサファイアブルーの蝶がプリントされていた。かなり細かな装飾で、これはアゲハチョウだろうか、翅脈の一本一本が太く細く幾筋も描かれていて今にも紙から浮き出て羽ばたきそうだ。ひっくり返せば裏面は縁を灰色でロココ調のラインが囲み、右下に一輪、横たわるようにして黒色で百合が描かれている。タイプされている文字も黒く、筆記体に似せた印字で一枚目には【私に気づいて下さい】。二枚目も同じ模様同じ書式で【貴女に焦れない日はない】。三枚目【私を想って下さい】四枚目【貴女が愛しい】【私の愛を受け入れて】【貴女の手に触れたい】【私を見て】【貴女の事ばかりを考えています】【私ほど貴女を想っている者はいない】

 【貴女をいつも見ています】

「いつも真っ白い薔薇が添えてあるわ。それとは別に入れられていた花はガーベラとか、ストックとか、紫色のチューリップとか、パンジーとか……」
「花も残してるのか?」
「まさか。けど写真に撮って、わかる花だけメモしてあるわ。花言葉とか調べてみたけど、全部”愛”に関するものだったわよ」

 語る真李亜の口調には苛立ちと疲れが濃く滲んでいる。それでも、そこに怯えの色は見あたらなかった。むしろ、負けてたまるかとでも云うように瞳は爛々と燃えている。
 可愛らしい外見に反して、真李亜はかなりの負けず嫌いなのだ。

「それで、俺は何をしたらいいんだ」

 硬い声音で言いながら朋幸は身を乗り出した。その瞳も劣らず爛と燃えている。怒りと、闘争の色。
 どうしてもっと早く言ってくれなかったの、なんて、朋幸は口にしない。勿論そう思わないわけではない。知らずにいた自分を歯がゆくも思っている。けれどもそれ以上に彼女は怒っているのだ。自分の大切な友人にまとわりつく見えない求愛者に対して、殺意すら伴い怒っていた。一秒でも早く、今すぐにでも、その横っ面を貼り飛ばしてやりたくて仕方が無いのだ。それこそ、過去をなじる余裕すら無いほどに。
 そんな友人の心情を察した上で、真李亜は疲れた顔で笑った。

「具体的にどうして欲しいっていう、希望とか、展望とか、そういうのがあって話したわけじゃないの。ごめん……ただ、うん」

 一人で抱え込んでるの、キツくって。吐き出すように言った真李亜は額を手で覆うように俯いて、深く、溜息を吐き出した。

「私が弱音吐けるの、アンタにだけだから、甘えた。ごめんね」
「そうか。わかった。許す」

 こっくり頷き語気強くぶつ切りにそう応じた朋幸は、

「じゃあ明日から一緒に暮らそう」

 同じ口調でそう続けた。
 ぱちくりと真李亜の目が瞬く。魔王が硬直し、思いのほか店内に響いたその告白は好奇の目を集めたけれど、気づいた様子すら無く朋幸はひとつ頷き、

「マリアん家からでも職場に通えるし、俺がマリアのとこに泊まるのがいいよな。いっぺん帰って着替えとか用意して来ねぇと。とりあえず一週間分でいいかな」

 などと言いつつ立ち上がろうとする。慌てて押し留めようとした真李亜以上に焦った顔をして朋幸を止めたのは、隣に座る魔王だった。

「待て、俺はどうなる」

 その声の歪な響きに眉根を寄せる真李亜と、スーツの裾を引っ張られて傾く朋幸。

「俺と一緒に暮らすんじゃなかったのか。それとも俺もそこの女の家に行っていいのか」
「はぁ?」

 疑問符は真李亜のあげたものだ。疑問符というより驚愕に近いだろうか。大きな目を更に大きくしてから朋幸を睨みつけ

「ちょっとトモ! 一緒に暮らすってどういう事よ!」
「だってその方がマリア安全じゃないか」
「そっちじゃないわよ!」
「俺は朋幸の傍にいるからな」
「っていうかアンタなんなのよ!」

 かなり今更な質問である。

「魔王だ」
「それは聞いたわよ!」

 臆面もなく胸すら張って答えた魔王をびしゃりと怒鳴りつけ、真李亜は魔王をじっとりと睨み据えた。

「いったいどういうつもりで魔王だなんて名乗ってこの子につきまとってるのよ。何か変な新興宗教の類ならこの子そういうの入らないわよ。結婚詐欺の類ならもっとお生憎様、朋幸にはね、生涯を誓った相手が既にいるんだから!」

 高らかな、それこそ店中に響き渡るのではないかという宣言に、魔王が目を剥いて硬直した。ガァン、とピアノの鍵盤を一気に叩いたような音が聞こえてきそうである。強張った顔で、唇が戦慄いた。

「なん……だと……」
「左手の薬指を見ればわかるでしょ。気づきなさいよ」

 言いつつ真李亜は疑問符を浮かべつつも状況を理解できずに二人を眺めていた朋幸の左手を引っ張って魔王の眼前へとつきだした。薬指の付け根で飾りっけのないプラチナリングが鈍く光を返す。魔王が人間と同じ身体を持っていたのならばサァッと青ざめていたことだろう。信じられない、とでも云うようにゆるゆると首を左右に振った。

「結婚……してるのか」
「そうよ!」
「え、してないぞ」

 驚いた様子で否定したのは朋幸だ。ぱっと魔王の顔に光が指す。

「してないのか」
「してる事にしたほうが話が早いのに!」
「でも結婚はしてねぇし」

 するはずだったんだけどなぁ、なんて苦笑を浮かべて、朋幸はリングをなぞった。

「あいつ死んじまったから」

 しょうがない奴だよな。なんて、惚気るように言う。そこに確かに見えた愛慕の情に、ピシリと音を立てて魔王がまた硬直した。

「けど、それがどうしたんだ? 今関係無ぇだろ。マリアの話してんだから」
「……これでわかったでしょう、魔王様?」

 魔王を見る真李亜の、眼差しにあるのは憐憫だ。そうでありながらきっぱりと、ギロチンの如き切れ味で彼女は告げた。

「この子、アンタのこと眼中外よ」
「………………」
「?」

 きょとん、と目を瞬かせる朋幸はこと此処に至っても何のことやらさっぱりわかっていないらしい。なんだどうしたと見詰める先で硬直したままぴくりともしない魔王。肩の上で又吉がさりげなく爪を立ててみるが、やはり反応がない。

「おい……? なんだよ、どうした? おーい?」

 ひらひらと魔王の眼前で手のひらを振る。そんな二人を見ながら真李亜が深々と溜息を吐いた。憐れなり、とでも呟くような溜息だった。一連の反応を見て、魔王が本気で朋幸に入れあげているのだと察したが故の哀れみなのだろう。
 ガタリ、

「帰る」

 唐突に立ち上がった魔王は一言だけ告げて歩き始めた。驚き呼び止めようとした朋幸を真李亜が制する。

「放っておいてあげなさい。どうせ実らないんだから、浅くすむうちに振ってあげたほうが彼のためよ」
「……???」

 なにがなんだか分からない、という様子の朋幸が顔を上げた時には、もう既に魔王の姿は何処にも見あたらなかった。


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