「Ciao。こんばんは、朋幸ちゃん」

 仕事帰りの午後八時、駅構内にて。帰宅ラッシュに溢れる人波の先から親しげに声をかけてきたのは、金髪碧眼色白の二十代前半ほどの青年――
 つまりは、三日前に襲撃してきた魔女の男だった。
 先日の重量感がある服装から一転、テーラードジャケットをトップに持ってきた薄着姿で、武器を隠し持っている様子は無い。Gパンのポケットへ左手の親指を引っ掛け、右手はひらひらと此方へ向けて振り、にこにこ笑顔を振り撒くその様子はとても先日の鉄面皮と同一人物とは思えなかったが、男を構成するパーツだけはそっくり同一のものに見える。
 否……そういえば、泣きボクロが無い。

「お前誰」
「こないだ君達の事を襲った仏頂面。……の、双子の弟」

 だよん。なんておちゃらけて、近寄ってくる態度は親しい友人と待ち合わせでもしていたようだ。そのままごく自然に隣へ並ぶものだから、朋幸も特別気を逆立てるようなことはせずに人波に乗って歩き始めた。

「とりあえず、自己紹介しとくね。俺は叶。口と漢数字の十を並べた、願い叶わず、とかのカナって書いてキョウ。あの仏頂面が翠で、こっちは緑色って意味の、翡翠とかのスイで読みもそのままスイ。で、翠を連れ帰った可愛子ちゃんが桜花ちゃん。桜花爛漫のオウカね」
「……お前ら日本人なの?」
「うん?」

 あのどこからどう見ても日本人な顔立ちをした桜花という女の子はともかくとして、叶とか翠とか、あからさまに異邦人な外見をしている人間が日本名を名乗っているのが不思議だったらしい。それに流暢な日本語も。問いかけに叶は、あはっ、と懐っこく笑った。

「いいや? 桜花ちゃんはともかく、俺らはクォーターだね。ただ日本人の血も混じってはいるんだよ? 見えないかもしれないけどサ。まぁ、だから日本語が得意、ってわけじゃないんだけどネ」
「ん? そうなのか?」
「言葉による表現力の幅広さにおいて日本語に並ぶものは無いからね。魔法ってのは想像力が決め手だから、言葉の羅列によってどこまで自身の想像力を掻き立てることが出来るか、ってとこが重要になるんだよ。詠唱はその想像力をより促進し掻き立てる為の装置ってコト。だからそういうわけで、魔女は日本語を好んで修得する傾向にあったりするんだよ。まぁでも、こういうのはやっぱ個人差があるかな。慣れ親しんでいる言語が一番ってヒトもいるし、ラテン語なんて古風なの使ってるヒトもいるし。まちまちだね」
「ふぅん」

 正直なところ朋幸には詠唱だのなんだのと云われてもまったく分からないのだが、とりあえずフルネームを名乗らないあたりから彼らの立ち位置は推して知るべし、といったところだ。少なくとも、目に見える友好さは信用するべきでは無いだろう。そこのところは朋幸も察しているが、しかし腑に落ちない事は多い。

 例えば、何故こうして接触してきたのか。
 そもそも連中にはファーストネームだけであろうと、偽名であったとしても、朋幸らに名乗る筋合いなど無いのではなかろうか。実際三日前は名乗る素振りすら見せなかった。
 その真意は。

「ま、普通は怪しむよねぇ」

 特にあのオニーサンあっやしーぃしねーぇ。歌うような抑揚をつけてへらりと笑い、怪しいってゆーか危険人物か、と揶揄してまた笑う。ちなみに揶揄になっていない。そのまんま等身大の評価だ。

「こっちにもさ、いろいろとふっかーい事情があるわけデスヨ。そういうわけで、さ」

 そこで一度区切って、叶は朋幸を追い越すと体ごと半回転して真正面から向き合った。十センチ程低い位置から懐っこいオーシャンブルーが覗きこむ。
 にぃっこり、犬みたいな笑顔とおどけた口調で叶は言った。

「ちょっとお茶、しませんか?」



 ――ここで少し時間を遡って状況を整理しよう。
 まず、始点は三日前の夜。エドガーの紹介も終わり、預っていたマスコットを真李亜へ渡して(真李亜は殊の外喜んでいた。再会してからずっと沈みがちだったので屈託なく笑う真李亜が見られて朋幸も嬉しい)、その後は夕食も交えてあぁだこうだとストーカーへの対抗策を話し合った。これといった妙案が浮かんだわけでは無いが、ひとまず真李亜の護衛にはエドガーと又吉さんが協力してくれるそうで、魔王は

『朋幸は俺が護る。俺は朋幸の傍にいる』

 と、言い張っていたが、当の朋幸に

『いや、仕事とかあるしずっとは無理だぞ。そりゃあ守ってくれるってのはありがたいけどさ、危なくなったら呼ぶからとりあえずエドガーとか家守っててくれよ』

 と、言い切られてあえなく撃沈した。
 解散後、そういえば魔王や又吉さんはどこで寝泊まりするつもりかと尋ねれば、又吉はもともと野良猫のようなものなので適当な場所で眠るとのこと。そうなると魔王も野宿という事になる。夜風も冷たくなってきた昨今にそれはキツいだろうと――実際のところ魔王にはそういう暑いとか寒いとかは影響がないらしいが――真李亜に泊めてくれるよう頼んでみようかと言う朋幸に、魔王はだったらばと左薬指に煌めく指輪を指さした。

『その中で寝させてくれ』
『はぁ?』

 曰く魔王とは元々魔力の塊に意思が宿ったものなので、実体化している現在の姿は魔法による擬態みたいなもの、らしく、物体に宿ることで実体で無くなっていたほうが、より効率的に休息をとれるのだそうだ。

『なんとなくその中が一番寝心地がよさそうだ』
『まぁ……別にいいけど』

 変な事すんなよ、大事な指輪なんだから。
 そうとだけ告げて了承し、かくして魔王の仮宿は指輪に決まった。
 ――で、三日後の水曜日。つまりは当日。
 日曜日以降ストーカーからのカードやら何やらのアプローチは無く、しかしまぁこれは襲撃があった時点で半ば予想していた事であったのでさして気に留めず、朋幸と真李亜は平素通りにそれぞれ仕事へ出掛けた。
 普段通りに業務をこなして、目立った出来事は何も無く、三十分だけ残業をして職場を後にし、帰宅ラッシュの電車に揺られて真李亜宅最寄り駅へ到着し――

 冒頭に戻る。
 そういうわけで朋幸は現在独りなのだが、呼べばいつでも魔王が文字通りに飛んでくる。だから叶に声をかけられた時に、なんならその姿を見かけた時点で、魔王を呼んだってよかったのだが、しかし朋幸にその意思は無かった。

 相手の出方を見よう、とか、魔王に頼るのが嫌だ、とか、そういう理由では無くて、
 信頼しているからだ。
 真実危機的状況に陥れば、魔王ならば呼ぶまでもなく駆けつけてくれるだろうと信じている。
 前回のように、
 絶対に来てくれるだろうと、朋幸の中で確定しているから、わざわざ呼ばない。

 全幅の信頼に意味は無い。ただ、朋幸が魔王を信頼に足ると直感した、それだけの理由で、朋幸は魔王に全幅の信頼を寄せている。しかしこれは、何も魔王に限った事では無い。朋幸はそういう信頼の仕方を誰にでもする。否、誰にでもと云うのは流石に語弊があるけれど、朋幸は信頼に足ると直感すれば、それが出会ったばかりの相手であろうと直感に基づき信頼を寄せるのだ。
 逆に言えば信頼出来ないと直感すれば絶対に当てにしないのだが、
 ともかく朋幸はそういう人間なので、魔王が特別信頼されているわけでも、逆に頼られていないわけでも無いのだという事をここに記しておく。

 その上で、現在。
 朋幸は魔女と二人、公園にいた。

「お茶に誘って、公園を指定されるとはねぇ」

 はい、と缶コーヒーを手渡しつつ叶は苦笑を浮かべて隣のブランコへと腰を下ろす。

「ケーキでも何でも奢ったのに」
「年下に奢らせるほど貧窮極まった生活してねぇよ」

 とか言いつつ缶コーヒーは叶の奢りなのだけれど。その奢らせた缶のタブを開けて、香りを楽しみつつ口を開く。

「で、何の用だ」
「つれないな、まずは歓談を楽しむとかしない?」
「しない」

 叶はもう一度、つれないなぁとへらり笑って呟いた。暖代わりのつもりか、缶のタブを開ける気配は無く手のひらで弄んでいる。
 ま、別にいいんだけどね。肩をすくめて叶は言う。

「それじゃあ要望通りに手っ取り早く、本題から入ろうか。本題というか根本の確認になるんだけどさ、朋幸ちゃんは、魔女じゃないね」
「当たり前だろ」

 即答すれば、力の抜けた苦笑を返された。

「魔女相手に魔女じゃないのが当たり前っていうのも、なかなかどうして辛辣だねぇ」
「あぁ、そっか。ごめん」
「いや、逆説的に魔女でない相手を魔女と決めてかかった俺達の方にそもそも非があるわけだから、むしろ謝るならこっちだよ」

 ごめんね? と、小首を傾けて、覗きこむように謝られる。砕けた物言いだが馴れ馴れしいと言うほどではない、愛嬌のある言動だった。自分の魅せ方を良く心得ているような。と思っては意地が悪いだろうか。だけどそんな感じだよなぁと胸中で零す朋幸。
 そんな内心とは無関係に、けど、と叶は話を続ける。

「魔王と行動を共にしていたら、此方側からすれば普通魔女だと思っちゃうよ。一般人が魔王に接触出来るなんて、まず思わない」
「ンな事言われても、アイツが俺と一緒に居たいっつってんだからしょうがねぇじゃん。勝手に誤解したのは、やっぱりアンタらだろ」
「手厳しいなぁ」

 まぁ確かにその通りだ。頷きつつブランコを足で揺らす。しばし、金属の軋む音が間を埋めた。何か、少し考えるような素振りでブルーの視線が空を泳ぐ。

「んー、そうだねぇ。折角本題から切り出した訳だし、核心のところを聞いちゃおうか」

 揺らす足の動きを半端なところで止めて、流し目をよこし、問う。

「朋幸ちゃんたちの目的って、何?」
「マリアを護ることだ」

 即答だった。考えるまでもない、とでも主張するような。

「護る、ねぇ」

 細く整えられた金色の眉毛がハの字に下がる。それでも変わらず口元は笑みの形をしていて、もしかしたら笑い顔が癖なんだろうかと朋幸はふと思った。

「護るってのは、もしかしなくとも翠からかな」
「当たり前だろ」

 他に誰がいるんだ、と言えば、だぁよねぇ、と気の抜けた返事と共に足を上げる。キィキィと軋みながら前後に揺れるリズムに合わせるように、じゃあねー、と間延びした声。

「護るってー、どうやって?」
「戦って護る」

 またも即答だった。ふはっ、と隣で吹き出す声。

「それはまた、勇ましいというか、荒々しいというか」
「先に攻撃をしかけてきたのはお前の兄貴だろう。俺達はそれに全力で対抗するだけだ」
「武力には武力を、ね。ハムラビ法典リスペクト?」
「おう。まぁお前らが二度と俺達に関わってこないって正式に誓うなら示談の席くらいは設けるぞ」
「んー、それはちょっと難しいかなー」
「だったら全面戦争だ」
「過激だなぁ」

 そういう分かりやすいのは嫌いじゃないけど、賢くは無いね。
 地面につけた足でまたブランコを前後に揺らしつつ叶は静かな声音で言う。その言葉は辛辣だが、口調は随分と柔らかだ。

「ハッキリ言おうか。君達は此方の戦力を見誤っている。魔王と伝説の猫又がいるからって、それで対抗できるとは思わない方がいいよ」
「又吉さん伝説なのか」
「あれほど生きている妖者もそうはいないからね。千年魔京の又吉、とか呼ばれてるよ」
「なにそれかっけぇ」
「そんなにカッコイイ二つ名を持っていても、俺達には絶対に勝てない」

 断定だった。あんまりきっぱりと言うものだから腹が立つよりもただ不思議に思う。

「なんで? 魔王強いんだろ」
「こっちには桜花ちゃんがいるからね」

 桜花ちゃん。口中で繰り返す。あの咲き誇る可憐な花のような、……第三の眼を持つ女の子。

「あれはね、邪眼っていうんだよ」
「邪気眼?」
「いや邪眼。余計なの挟まってる。それは厨二病の代名詞デショ」

 邪悪な眼で、邪眼だよ。言いつつ地面に靴で『邪』と書いてみせる。印字みたいな几帳面に整った字だな、と朋幸は話題とは関係のない感想を抱いた。

「あるいは逆に神聖視されて神の目とかとも呼ばれる」

 続けて隣に『神』と書く。続けて読むと『邪神』になって、ますます厨二病っぽいなぁとやはり関係のない事を思った。

「神に比類する力を持つ者の証。或いは烙印。それがあの眼だ。彼女は魔王と同等に渡り合える、数限りなく少ない者の一人なんだよ」

 と、いうか、もっと踏み込んで言っちゃうと同類の存在だよね。
 おどけた口調に首を傾げる朋幸。

「どういう意味だ?」
「あれ、これも知らないのか。魔王は世界が調整役として生み出す装置で」
「あ、それは知ってる」
「そう。まぁ、そんなふうに、どういう基準かは知らないけれど世界が選んだ柱のうち、一本が魔王で、別の一本が、桜花ちゃんなんだよ」

 だから同じモノ。そう締めくくられて朋幸は又吉の言葉を思い出した。魔王とは何だという問いかけに答えてくれた説明の中に、そういえば思い当たる文がある。
 魔王とは、膨大な魔力が漂う魂の一部を取り込んで意思を持ったものである。けれど、そうした動きは自然界にも、人間にも、周期的に起こっている事なのだ――

「だから、武力には武力をっていう朋幸ちゃんのやり方はちょっと拙いね。ましてや朋幸ちゃんたちは魔女でも無いんだから、ハンムラビよりもガンジーをリスペクトするべきだ」
「抵抗するなってことかよ」
「違うよ。ガンジーは無抵抗主義とはかけ離れた人物だ。非暴力・不服従っていうのは、暴力にも優る暴力的な交渉術の事なんだよ」
「交渉術、ねぇ……」

 なんとなく胡散臭い。明瞭な理由は無いのだが、強いて言うならば敵対する相手にわざわざそれを言うあたりとかが。

「まぁ、ガンジーとまで行かなくとも、ようはもう少し絡め手でいったほうが勝てる見込みがあるって話だよ。たとえば俺なら、邪眼保持者なんてまず敵に回さない。接触してなんとか味方に引き入れるか、それが無理でも中立くらいにまでは引き摺り下ろすね」

 ――って、それは俺が桜花ちゃんの事をよく知っているからこそ出る選択肢なのかもしれないけれど。
 両足を振ってぐんぐんと揺れる速度と幅を上げながら、叶は軋む音に負けぬようにか、心なし声を張り上げる。

「あの子はねぇ、賢いしあざといし強かで抜け目がないけれど、でも俺達と違って普通の女の子だから、優しいし、ツメが甘いし、不平等なくらいに公平なんだ」

 だからちゃんと話せば通じるよ。なんて、微笑んで、それはそれは大切で愛おしいものの事を語る甘やかな声音で、眼差しで、そう言って、叶は勢いをつけてブランコから飛び降りた。

「俺が言えることなんてこのくらいかな。色々と誤解があるみたいだし、その辺もひっくるめて報告はするけど、それであの馬鹿が止まるかと言えば難しいだろうから、まぁ」

 へらり、力の抜けた笑みで振り返り、

「もう一回くらいは、逢えるかもね」

 それじゃあ、Ciao。
 なんて右手を振って踵を打ち鳴らす。ただのブーツに見えたのに打ち鳴らされた踵はかぁあんと奇妙に高く鳴り響き、やがてその音波に掻き乱されでもするように、揺れて、ブレて、
 そうして叶の姿は陽炎のように消えてしまったのだった。



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