・・・・・どこだここは? 静かに瞼を開いたソレは眉根を顰めた。 ・・・・・誰だ自分は? 両手を見つめて自分は思った。 見回す世界は光の無い無明。 吸った空気には何の匂いも嗅ぎ取れず、済ました耳に何の音も伝わらない。 「ダメだよ」 ふと声が聞こえた。 幾重にも響く声。何処から聞こえているのかと辺りを見回して―――――光の無いこの場所では意味の無い行為であったと気づき舌打ちする。 「ダメだよ」 何がダメだというのか 幼いボーイソプラノの声に苛立った。 「ダメだよ、君、ちゃんと表現しないと。」 ―――――――・・表現? 「そう、表現。或は表記。もしくは明記。」 訳が解らない。 表そうにも、此処には何も無いではないか。 「そう、何も無いよ。だって君が表してくれないから。」 だから何を言っているんだ、と、声に出して問おうとしてそれが出来ないことに愕然とする。 ボーイソプラノの声がくすくすと笑った。 「ほら、ちゃんと表現しないから。僕のこともちゃんと表現しておくれよ。いつまでも『ボーイソプラノの声』だなんて表されたって嬉しくないよ?」 嬉しいとか、嬉しくないとか、そんなのはどうでもいい。 表現するってなんなんだ? 訳が解らなくて声にできず問う。 「そんなことも君は知らないのかい?」 大仰な様子でボーイソプラノの声が言った。 「それじゃあ仕方が無いね、教えてあげるよ。」 何を? 「ソウゾウするんだ」 ソウゾウ? 何を言っている?カタカナで言われても解らないだろう。 「じゃあソウゾウして。この言の葉は漢字に直すとどうなるの?」 漢字に直すと? ボーイソプラノの声に言われて『想像』する。 「答えは出たね」 答えを出す前にボーイソプラノの声が言った。 待てよ、まだ考えてないのに 「君は想像したのだろう?」 想像――――――ソウゾウ あぁ、確かに変換すると同じ読みだ。 けれどそれが答えだと自分は思わなかった。なのにそれを答えだと決め付けるお前は随分と横暴じゃないか? 「そうだね、そうかもしれない。何せ君が『僕が横暴である』と想像したのだから。」 それは責任転嫁だ 憮然と声無く反論する。 そういう存在であるからお前は横暴なのだろう。 「そうだよ。君がそういう存在であると想像したから僕はそういう存在なんだ。」 想像すれば全てがそうなるような言い方だな。 「そうだよ。君が想像すれば全てはそうなる。この世界に限定されるけれどね。」 世界 そうだ、ここはいったい何処なんだ? 「『世界』だよ」 ボーイソプラノの声はその声だけで静かに哂った。 「『世界』だ。他に意味を持たせたいのならば君が想像しなければならない。ここはそういう『世界』だからね。」 ますます訳が解らない。 意味を持たせる?全てはあらかじめ意味を持っているものだろう? 「意味論かい?けれど違うよ君。最初から意味を持っているモノなんて無い。与えられ、或は見つけて、そうしてようやく得ることができる。それが『意味』だよ。」 そうだろうか そういうものなのだろうか 「そうさ、そういうものさ。だからほら、想像しておくれよ君。」 ボーイソプラノの声は熱っぽく言った。 「この『世界』に『意味』を与えておくれ。」 意味を 何を どうやって 想像すればいい? 「ありのままに」 だってここには何も無いじゃないか 想像の余地なんて無い。 「あるよ。あるのさ。何も無いからこそそこには何かがある。それを君たちはなんと呼ぶ?」 何も無いからこそあるもの なんだろうそれは。疑問に思って想像する。 それは ―――――――可能性? 声ではなく呟いたその時、 無明であった世界に光が降り落ちた。 きらきらきらきらと、砕けた硝子の破片が光を返すような そうそれは 可能性。 「うん。そう、そうやって想像するんだよ」 無から有が産まれた。 その驚きに目を瞠る。 違うこれは想像じゃなく これではまるで 創造だ。 「同じものだよ、君。」 ボーイソプラノの声が教師のように諭す声で言った。 「実際にはないものを表す力。ソウゾウ。同じだよ。同じだけれど違う。けれどこの『世界』では同じことだ。だって同じ力を持っているのだから。」 同じ? 同じ―――――――力? 「そう、力。」 その力の名前はなに? 「それを君がソウゾウするんだ。」 ソウゾウ どっちのソウゾウ? 「それも君が決めるといい」 ボーイソプラノの声は尊大に言った。 「これを想像で終わらせるのか、それとも創造として始まらせるのか。それを決めるのも選ぶのも考えるのも皆、君の役目で義務で権利なのだから。」 その言葉に、僅かに感じた恐怖が背筋を震わせる。 それではまるで、この世界の全てが委ねられているみたいだ。 『可能性』を見つめながら、声ではなくそう囁いた。 「そうだよ、君が全てを決め、全てを生み出し或は破棄する。唯一君だけがこの世界でその力を持っている。」 それじゃあお前は? 思い通りになんてならない決める前にそこにいて想像する前に存在しているお前は何なんだ? 「だから言っているだろう?君が全てを決めるんだ。」 まだ決めてないのにお前はいるじゃないか 「それも君が決めたことなのかもしれないよ?或は既に決められていたことなのかも。」 誰が決めたんだ? 「君が。」 決めてないのに? 「そう、決めてないのに決めたんだ。」 どうやって? 「考えて。」 それは問いかけでも要求でもなかった。 『考えて』その結果決まったことなのだと、ボーイソプラノの声は言ったのだ。 「だからほら、いい加減にソウゾウしておくれよ、君。やり方はわかっただろう?」 そんなこと言われても、 声も無いのに口ごもる 何をソウゾウすればいいんだ? 声ではなく問いかけた。 「ではまず自分の『声』を。」 声? 自分の声? 「そう、『声』。『声』をソウゾウするためにソウゾウするんだ。君の声はどんな声?君は男?女?若い?それとも歳をとっている?はきはきした声?しわがれた声?口調は?その強弱は?一人称は?」 待って、待って待って!!そんなに一気にまくし立てられても解らない 「そう、声一つでそれだけ多くのことをソウゾウできるんだ。ほら、ソウゾウしておくれ。様々なことを!」 どこか興奮に擦れた声に想像する。 この声に応える声はどんな声なのだろう。 想像する。 そうだな、一人称は 「私」 小さくその喉を震わせて呟いた。 少し高いソプラノの声。幼さの残る口調。意識して呟いたためか、少し強く硬い声音。 「これが、私の声。」 「そう。それが君の声だ。」 「次は何を想像すればいいの?」 嬉しそうな声に問えば、返ってきたのは沈黙。 言葉が無くなれば息遣いさえ聞こえてはこなくて、その姿が見えないことに言い知れない不安を覚えて拳を作り強く握った。 怖い。 姿が見えないことが怖い。 だって本当に存在しているのか解らなくなるではないか。 「ねぇ、何か喋ってよ」 「何を喋れと言うのだい?」 返ってきた声に安堵しつつ、私は言った。 「まだ質問に答えてないじゃない。次は何を想像すればいいの?」 「言っただろう、それを決めるのは君だけだ。」 「でもさっきは答えてくれた。」 「君が声を望んでいたからだよ。」 言われて、成る程と納得する。 確かに自分は声を望んでいたかもしれない。 ボーイソプラノの声に、それじゃあと言った。 「望むものを想像すればいいのね?」 「望まないものを想像しても仕方が無いだろう?」 「それじゃああなたを想像するわ。」 だって姿が見えないのは不安だから。 横柄で尊大で揚げ足取り。 そう、そんな存在に相応しい姿。 閉じた瞼の裏に想像し、開けばその通りの生き物が二歩ほど空間を空けて立っていた。 目測でその身長は70センチほどだろうか 二本足で立ち、丸い硝子玉のような瞳でこちらを見ている。その色は金と銀。 くすんだ水色の毛並みに先の白い尻尾と耳。 長い髭を動かして、声の主は興味深げに自分の姿を見回した。 「これが君の想像した僕の姿かい?」 「ぴったりでしょう?」 「二足歩行の猫とは、ファンタスティックだね。」 まんざらでもなさそうなその言葉に私は微笑む。 「次はなにを想像するんだい?」 「じゃあこの世界の名前を。」 その言葉に猫の姿をしたそれは色の違う瞳に喜色を浮かべる。 それを待ち望んでいたかのように、小さな口から感嘆の息を漏らした。 「この世界は」 私が想像することによって表れる世界 私が想像することによって意味を持つ世界 この世界の名は 「思考」 そう、そうだこの世界は 「私の『思考』なのね。」 囁きに猫はその丸い瞳を嬉しげに眇め微笑んだ。 「君がそう望むのならばそうなのだろう。君がそうであると想像したのならばそうなのだろう。この世界では君こそが真実で絶対。君だけが要。君がいることでこの世界は存在しこの世界は成り立ちこの世界は機能する。」 「お前は何者なの?」 「それは君が決めること。」 幾度目かの問いに幾度目かの答え。 自分と言う存在の価値すら他人である自分に委ねるのはどんな気分なのだろうかと考えてみる。 楽なのだろうか―――――――それとも恐ろしいのだろうか? 「恐ろしいよ」 声にはしない声を読み取ったのか、猫は静かに氷の息を吐くように囁いた。 「それはとても恐ろしい。役割を求められなければ意味を求められなければ僕は存在する価値を失うんだ。そうすれば僕は消える。『削除』されて『不在』になるんだ。」 「『不在』に、なる?」 不在とは何も無いことだ。何もないものになるというのは可笑しくは無いだろうか? だって何も無いというのなら、 そこには本当に何も無いのだから。 再び思考を読んだように、猫は寂しく笑った。 「そうだね。けれど違うんだ。僕は元々『不在』だったのだから。」 「『不在』・・・だった?」 「そう」 この思考という世界の中で、存在するけれど存在しなかったもの。 何故彼は存在するのだろう。 ふと沸いた疑問に、猫は当然のことを当然だと主張するように言った。 「それはもちろん、君が僕を必要とするからさ。」 なら それなら ―――――――私は? ここが求められて存在する場所だと言うのなら 求められもせず求めるためにいる自分は何故存在しているのだろう。 自分は 根本的なことを思い出す。 自分はどうやってここに来たのだろうか? 「可笑しなことを考えるんだね」 猫が首をかしげて言った。 「思考している者が自分の思考の中に存在するということが、そんなに不思議なこと?」 言われてみればそうなのかもしれない。 自分の考えであるのならば、その主軸となる『自分』がいなければそもそも思考すら存在はしないだろう。 だけど、 「私は今、初めてここに来たわ。」 「うん。そうだね。」 「けれど私は今まで『思考』したことがなかったわけじゃない。」 生きている以上、意識しようがしまいが人は生き物は『思考』するだろう。 なのに、何故今回に限ってこんな―――――『思考』の『世界』の中に、私は迷い込んでしまったのだろう? 「迷ったからだよ。」 猫の言葉に、目を瞬く。そして首をかしげた。 「迷ったから?」 「そう、迷ったから。」 「迷ったらここに来るの?」 「そう。迷ったらここに来るんだ。」 それは―――――――そんなのは可笑しくはないだろうか? 今までの人生の中で、私は幾度も迷い考え悩んできたのに。 「だって君が望んだから。」 猫の答えに、 私は眉根を寄せた。 「望んだ?私が?」 「そうだよ。」 「――――何を?」 恐る恐る訪ねれば、猫はその瞳を緩やかに眇め、微笑んだ。 「ソウゾウすることを。」 あぁ、 そうか。 猫の言葉に、私は細く息を吐いた。 そうか、 そうだ。 私は 「望んだのよね、私が。」 「そうだよ。」 「『世界』を――――――創造することを。」 「うん。だから君はここへ来て、僕は『不在』から『存在』になれたんだ。」 思い出した。 私は、 決めたんだ。 『想像』でしかなかった『物語』という『世界』を綴り、『創造』することを。 ここは私の『思考』 『想像』でしかなかった物語たちの眠る場所。 だから私が創造しなくてはならない。 彼等を目覚めさせなければならない。 だから 「だから、私はここに来たのね。」 私の言葉に、 猫はさも嬉しげに微笑み、ひげをそよがせ尻尾を遊ばせた。 「ありがとう。気づいてくれて。ありがとう。思い出してくれて。」 猫の姿が、 急にぼやけ始める。 「・・・“猫”・・・?」 「どうかどうかお願いします。」 ぺこり、と、猫が頭を下げた。 「ここにいる『不在』たちを『存在』させてあげてください。」 幼い子供のようにどこか舌っ足らずな口調で、闇と同化し行く猫は言葉を紡ぐ。 「それができるのはあなただけだから。どうか僕らに」 ―――――――存在と意味と物語をください――――――― その言葉を最後に、 猫は姿を消した。 「“猫”?」 闇の中、きらきらと上から下へ流れ落ちる『可能性』だけが残された空間で、私は不安にそれを呼ぶ。 だけど答えはない。 彼はまた、『不在』になってしまったのだろうか・・・? 不安に駆られて一歩を踏み出せば、急激に世界が変動を始めた。 「!?」 闇が払われ光が満たされる。 視界を白が覆いつくし――――――― ―――――――私は、 『思考』から目覚めた。 私は今日も物語を綴っている。 小説という物語を。 彼等を “猫”を 『不在』にさせないために。 「どうか僕らに 姿と言葉と存在と意味と―――――――――世界をください」 あなたの紡ぎ出す物語を、 どうか、 僕らに。 *********** TOP |