愛していたのに裏切った。
 裏切りとは呼べない裏切り。
 けれど俺は思い出した。




















 異界の巫女を守る王子 それが俺
 幾多の試練を潜り抜け
 愛する彼女と仲間を得た。
 絆は深く、切れないと、
 ・・・そう信じて疑わなかった。




 最後の試練のそのときに、
 彼女は神に選ばれなかった。



 怒りに叫んでも、覆らない事実。
 時は巻き戻され、彼女がこの世界の地を踏んだ日に還る。
 彼女だけが記憶を持ち、自分達は、全てを忘れる。
 そして自分は何も知らず、のうのうと生きるのだ。 
 彼女だけが、たった一人孤独に生きる。



 嫌だ
 抗う術はない
 こんなことがあってたまるか!

 泣き叫ぶ彼女を、俺はただ抱きしめた。
 必ず思い出す。
 思い出すから。
 俺達は自分達のその言葉を・・・
 信じて疑わなかった。
























 目覚めたそこは、いつもの自室。
 寝着に包まれ、
 いつものように横たわっていた。 


 不思議な夢を見た。長い長い夢。
 胸の痛む感覚に、不自然なその感覚に、
 ベッドから身を起こした。

 暖炉にくべられた火を見つめ、不自然な感覚に首をかしげた。

 何かを、自分は忘れてる。 
 それは、思い出せないけれど、

























 着替えを済ませ、庭を無目的に歩いているうちに門が見えた。
 声が聞こえる。胸を締め付けるような、悲しくむなしい叫び声。 懐かしい声。

 こちらを向いて少女が笑った。 大切な何かを見つけたように。
 思い出せない。なのに懐かしい笑顔。

 怪訝な思いで眉根を寄せ、門番に尋ねた。


『誰だ そいつは』


 門番の答えに、この感情が何なのかわからないまま城へと戻った。
 後ろで、待ってと叫ぶ少女の声が聞こえた気がした。

























 なんなのだろう、この感情。
 とても深い罪悪感。
 ぽっかりと胸に穴が開いたかのような空虚感。
 わからない。 けれど、自分は、
 何かを忘れている。

 自分だけが知っている秘密の抜け穴のある庭の一画、気がつけばそこにいた。
 その崩れた城壁の穴から、先ほどの少女が顔を出した。
 目と目が合って、少女は自分の名を呼んだ。
 愛しそうなその声に、訳のわからない感情がわきあがる。
 ただ、自分は少女に視線を向ける。


 少女が、深い絶望をその目に宿した。
 真冬の空の下、まるで真夏の空の下から抜け出してきたような少女は、真っ赤になった身体を雪に埋もれさせていた。


 虚ろな目で涙を流すその少女を、自分は慌てて抱きかかえた。
 驚いたように見上げる少女に怒鳴りつけた


『馬鹿かお前は! このような真冬にそんな薄着をして! 死にたいのか!』


 怒鳴られて微笑み、意識を手放した少女を、どうすればいいのか一瞬戸惑い城の中へと運んだ。























 助けた少女は、異界の巫女だと言い、今まで仲間と旅をしていたという。 
 その中に俺もいて、二人は愛し合っていたという。
 しかし神に選ばれず、少女以外の者は記憶を消されたのだという。

 約束したのに と、彼女は俺をなじった。 思い出してほしいと、
 約束したのだからと、
 そう言う彼女を必死で宥めた。

 信じられるはずがないだろう? 
 そう言った俺を、
 彼女は絶望に染まった目で見返した。
 涙を流して。

 声を殺して泣く少女を、ただただ何も出来ずに見つめていた。
 神の使わした巫女だと言われれば納得してしまうような美しく儚げなこの少女。

 自分は彼女を愛していたのだろうか?
 もしも彼女の言うことが真実ならば、
 きっと自分は彼女を愛しただろう。

 けれど記憶は
 無い。

























 傷が癒えるまで、城にいろと言うと、彼女はうなずいた。
 ただ彼女のそばにいたかった。
 自分を愛していたのなら、今の自分も愛してくれるかもしれない。
 そう思った。
 彼女はとても優しくて、とても素直で愛らしかった。
 時に怒り、時に拗ね、時に笑ってくれて、時に微笑んでくれた。


 彼女を愛する想いは膨らんで、
 けれど彼女は過去の自分を追い求めた。
 始終昔の話をし、それを話す彼女の瞳が穏やかで、優しくて、
 俺にはそれが、耐えられなかった。
























 ある日、彼女の傷も癒えかけた春間近の日。
 彼女はいつものようにまた昔の話をしていた。
 聞きたくなかった。
 傷が癒えれば、彼女はいなくなってしまうかもしれない。
 彼女が求めているのは、自分ではなく彼女の記憶の中の自分だから。
 その恐れと不安で、気がつけば俺は彼女を怒鳴りつけていた。


『その話をするな! 俺は俺だ!
 もういい、消えろ!
 俺の前から消えてしまえ!』


 もう嫌だった。
 自分を見てはくれない彼女の目が怖かった。

 愛しているのに、
 彼女が愛しているのは、
 今の自分ではない。
 立ち尽くしていた彼女が突然叫んだ。


『私はただ、あなたに思い出してほしいだけ! 思い出してよ!』


 もうたくさんだ。
 俺は彼女を睨みつけた。
 もう、我慢できなかった。


『思い出せ、思い出せって俺は俺だ! そんな記憶なんか思い出したくも無い!
 お前なんかいなくなればいい、
 愛してる? お前が愛しているのは俺じゃない! 俺はそんなお前なんか嫌いだ、ずっと思っていた、鬱陶しい―――――――二度と顔を見せるな!』


 彼女が駆け出したとき、俺は我に帰った。
 俺は今、
 何を言った?
 ひき止めようとした叫びは、
 彼女に届かなかった。
 彼女の膝に乗っていた日記が、浅く積もった雪の上に落ちていた。























 日記には、彼女の言う昔のことが事細かに綴られていた。

 仲間のこと、
 出会った人々のこと、
 試練のこと、
 さまざまな出来事。 
 そして、自分のことも、


 初めの印象は悪かったようだ。
 けれど、次第に二人は打ち解けていった。
 そして、愛し合った。 


 今 のことも、記されていた。
 約束のこと、
 どれだけの希望を抱いたのかということ
 けれどその希望が裏切られたこと
 絶望が、どれほど深かったのかということ
 そして、俺のことも、
 記されていた。


 優しく抱き上げてくれたとき、
 助けてくれたとき
 どれほど嬉しかったか、

 兵士に突き出すことも無く、
 城にいてもいいと言ってもらえて、
 優しくされて、
 愛されているのだと、
 そう思えて嬉しかったと、

 優しく手を差し伸べて、
 微笑んでくれて、
 希望を抱いたのだと、





 今度はもう、
 裏切られない。





 それでも、
 不安が消えることは無い。

 今度こそ確信がほしかった。
 だから思い出してほしい。


 どんな風に微笑んでくれたのか、
 どんな風に助けてくれたのか、
 どんな風に慰めてくれたのか
 どんな風に元気付けてくれたのか
 どんな風に、愛し合ったのかを、
 日記にはそう、綴られていた。























 朝になった。
 夜が、明けた。
 頭がずんと重かった。
 自分は、何と愚かなことをしたのかと、
 今度こそ、
 裏切られたくないからと、
 不安に思う彼女の心を、
 なぜ察して上げられなかったのだろう。


 自分は 
 また
 裏切った。


 彼女を、探さなければならない。
 どこにいるのだろうと、たとえ地の果てに彼女が行ってしまっても、
 探しださなければならない。

 探して、
 伝えるのだ。
 自分の想いを。

 もう、何があっても裏切らない。
 だから、
 早く、
 探さなければ。


 城の者を総動員させ、彼女の行方を追った。
 けれど、どこにも、いない。

 早くしなければならない。
 自分は、あの時、何と言った?
 消えてしまえ と
 そう叫んだ。

 早くしなければ、
 彼女は、
 消える。
 そんな不安に駆り立てられた。























 ふと、思い出した。
 何かが、引っかかった。
 日記に書いてあった。
 思い出の場所。
 彼の中で、記憶が、少しだけ流れ出た。


 あそこで、
 彼女と自分は、
 誓い合った。
 この、想いを 



 駆け出した。
 思い出の場所、
 王家の者だけに伝わる、常春の泉。
 もしかしたら、あそこにいるかもしれない。

 絶対に、
 いる。
























 木々の間を駆け抜け、彼女を見つけた。
 間に合った。
 そう思って安堵の息をついたとき、
 彼女は、



















 自身に刃を突き立てた。


















 絶望で、世界が赤く染まった。

 彼女の身体が泉に沈み、また浮かぶ。
 ルビーよりも深い赤に泉が染まり、
 高く澄んだ音を立て、
 泉が彼女を氷で覆う、










 一瞬、彼女の虚ろな目と視線が交わった。









 けれど、泉は氷で閉ざされた。











 その瞬間。
 何かが、
 はじけた。
















 全てを、思い出した。

 失われた記憶は


 彼女が凍りに閉ざされたことで、



 甦った。





 ただ、必死に、氷を叩いた。


『思い出したから、思い出したからっ!
 逝かないでくれ、そこから、出てきてくれ!』


 けれど、
 彼女は、
 もう、
 何も見てはいなかった。
 答えては、くれなかった。







 彼女の目が虚ろに開かれたまま、氷は完全に泉を凍らせた。

















 赤い、凍れる泉。
 彼女の魂は今もそこで俺を見つめている。
 記憶の中の俺を。


















 俺は裏切った。あまりにも多くのことを。
 必ず思い出す
 そう言った言葉は、
 彼女をただ傷つけた。
 永遠に愛するといった言葉も、
 真実であったのに、伝わらなかった。














 自分は彼女を忘れ、傷つけた。















 今も自分は
 氷に閉ざされた彼女を見つめている。
 自分の罪を
 忘れたりはしない
 今度こそ・・・・・・。


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