微睡みの記憶はいつも同じ。シルクハットを目深に被った養父の、皺の寄ったニヒルな笑みと、赤く燃える空のキャンパス。
 夕日と夜を吸って紫色に滲む雲を指差して養父は言う。

『ごらん、ラビ。コッツカッタラが泳いでいるよ。あれは魚だけれど空を飛ぶんだ。ああして日差しの死骸を食べに現れるけれど、三日月の光を浴びてしまったら粉になって死んでしまうんだ。あれの粉がかかるとな、その夜は甘い夢が見られるんだぜ』

 養父はある冬の日にペグピュリアスの群れに襲われて穴だらけになって死にました。
 養父はルーオの葉の葉巻をいつも吸っていたので、甘い匂いを嗅ぎ付けたフェッテヴァゼブがやってきて、養父の死骸をぺろりとたいらげてしまいましたが、養父は毎晩欠かさずにラペタの星へお祈りをしていたので、その魂だけはあの恐ろしい獣の肉と皮と毛をすり抜けてお空へと昇って逝くことが出来たのです。
 今はキケという星の地下にある鍾乳洞のお家で終わらないお茶会を開いています。砂糖漬けにしたレーラッビュファの花と、心臓の形をした焼き菓子を亀の背中に盛り付けて、真っ黒い紅茶がたっぷり入ったティーカップを並べてお茶会を開いています。養父は甘いものが好きではないから、私がお酒とおつまみを届けてあげないといけません。
 けれどキケへ行くためには大蛇のレグラレグラを捕まえなければいけません。レグラレグラは星々の間をすいすいと泳いでいて、彗星の尾を見つけてはぱくりと食べて暮らしています。だから星が落ちてきた時に尻尾に掴まらなければならないのですが、空のうんと高いところまでしか降りてこないものですから、なんとかそこまでたどり着かないといけません。鉄の鳥よりも早く、流れ星に追い付かなければいけません。そこで私は思い付いたのです。

”そうだ、ダイダロスに翼を作ってもらおう!”

 私の名前はラビラント。私は迷宮。私の中で半人半牛の化け物が叫んでいる。お腹が空いたと吠えている。最近の生け贄は黄金がないと迷宮に入ってきてくれない。宝物はどこかしら。
 あぁ、我慢してねミノタウロス、どうかダイダロスを食べないで。彼には翼を作ってもらわないといけないの。太陽が蝋を溶かしてしまうから、私達は夜に翔びましょう。キケの星は白い色で輝いているわ。養父は甘いものが嫌いなのよ。
 名工が翼を作ってくれるまで、待っていてね、おとうさん。




「おはよう、眠り姫(スリーピングビューティー)。目覚めが王子さまの接吻でなくて悪いわね」




 束ねられた金糸がさらさらとダークブルーの肩を流れる。青い瞳がにこりと弧を描いて猫のぬいぐるみを抱き抱える私を映した。顔の無い黒い猫を横たえて、たくさん敷いた色とりどりのクッションのひとつに手をついて起き上がる。かわいいものがたくさん詰まった私の部屋。室内に満ちる音色はロマンティック・バレエの代表曲、ジゼルだ。ラジオがくるくると銀盤を回す。この次に入っているのはコッペリアだっただろうか蜘蛛の饗宴だっただろうか。

「おはよう、アリア」
「アナタ、またドレスを着たまま寝たのね。せっかくのレースが皺になっているわよ? ……ほら、顔を洗ってらっしゃい。仕事の話があるの。リビングで待っているわね」

 そう言って彼女は私が頷いたのも見ずに背を向けて扉の向こうへ消えてしまった。
 アリアドネ。迷宮を解く唯一の人。美しい孤独な王女。迷宮の管理者。彼女の糸は英雄を助け出したりしない。彼女の糸はミノタウロスのもとへ生け贄を誘い込む。最近の生け贄は宝物がないと迷宮には入ってこない。彼女は私に財宝を与えてくれる。
 顔を洗うために私はベッドから立ち上がった。白いタイツで絨毯を踏む。ベビーピンク色をしたロリータドレスの裾がぬいぐるみの一画に当たって足を膝近くまで埋めてしまった。ビーズの瞳と目が合う。行かないでと訴えられた気がしたけれど、私はさみしがりやなクマやネズミやウサギやワニにキスをして退いてもらい扉を開けた。甘い香りが漂っている。フレンチトーストの焼ける匂い。養父は甘いものが嫌いだったけれど私は甘いものが大好きだから、いつもレーラッビュファの花の蜜を固めた飴玉や惑星ウィプルギスの城を削り取った氷砂糖や魔女メヘネアの焼いた菓子やらを与えてくれた。キケで今も開かれているお茶会にはそれらの菓子も並んでいるだろう。アリアドネの作るお菓子も、そこへ加えても良いだろうか。
 ぬいぐるみ達に挨拶をしながら短い廊下を歩いて洗面台の前へ。蔓草と薔薇のシールで縁取られた鏡の中には橙色の髪と紅茶色の瞳の、白い肌をした女が一人、眠たげに私を眺めている。

「おはよう、鏡のなかの私。今日も一緒にお祈りをしましょう」

 蛇口を捻って水で手を濡らし鏡のなかの私と二人で三角や丸を鏡面に描く。最後に手を組んでお祈りを。クークーレブタムクークーレブラム、おやすみなさい神様、どうか永遠に。
 甘い香りがここまで漂ってくる。レーラッビュファの蜜のような甘い香り。あの花の蜜は朝霧になるの。でも今はお昼過ぎだわ。テットキキとハヤムマムルの二つの星が重なる時間。だからベチュファの星は今は夜なの。グーマグール達が松明を手に踊っているわ。
 さぁ、ミノタウロスの食事の前にごはんを食べましょう。だってお茶会の会場は遠すぎるのだもの。


 私のお腹が、くぅ、と切なげに鳴いた。








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拙宅の仕事屋、護り屋をしているラビことラビラントの紹介小話です。
養父とアリアドネは企画未参加の子で、始末屋と情報屋。
意味不明な単語のほとんどが彼女と養父の創作単語。



ラビラントの詳細設定ページは此方


柳乃朋美