魔女とは何ぞや。
 魔女とは、未知に挑む探究職の一種である。
 それはつまり、気狂い達の一派でもあることを示唆している。

 ――――魔女は狂っていなければならない。















 
 広い部屋だな、と、いつも思う。
 或いは狭いのかもしれないが全面の磨いたような白さが距離感をつかませない。それら四面の壁にはそれぞれ複雑に絡み合った魔方陣が刻まれている。巨大な円をメインに小さな円や三角が幾つか被さっている形状で、そこに西洋的だったり東洋風だったりする模様や文字が装飾されているというもの。その緻細な魔術式の塊は、あまり眺めていると壁ではなくて中空に描かれているように目が錯覚を始め、それでも見つめ続けていれば、やがて陣が反時計回りにゆっくりと回転しているようにさえ見えてくるのだから、魔方陣というよりは騙し絵のようだなと、如月叶は碧眼をしばたいた。

「こら”ノイズボーイ”、余所見してんじゃねぇよ」
「あぁ、ごめんよミーラ=ミューノ、あまり見事な陣だからつい視線を奪われたよ。嫉妬させたかな?」

 転じた視線の先に立つのは豊満な肢体を白衣に似たスーツで包んだ女性だ。アラブ系の彫が深い顔立ちで、癖の強い黒髪に浅褐色の肌、そしてそれらに栄える猫のような翡翠色の瞳が印象的な色立つ熟女である。彼女はマスカラのたっぷり乗った睫毛を一度瞬くと、紫色に塗られた唇をにぃっこりと釣り上げた。くっ、と、喉の奥で笑う。

「転移魔術部門責任者様であるこのアタシがじきじきに描いたんだから、どんな褒め言葉も当たり前すぎて陳腐だよ”ノイズボーイ”。それで? アタシはもう一度テメェのために金にも換えがたい時間を削って同じ説明をしなけりゃならんのかな?」

 どうやら怒らせたらしい。否、彼女はいつだってこんな調子か。

「確かに君の美声にはいつまでも耳を傾けていたい魅力があるけれど、それは今度の機会にするよ。……『異世界へ通じる転移魔法陣の実験』だったね」
「その通り」
「ひとつ、質問を良いかミーラ=ミューノ」

 横手で声が上がる。如月叶に良く似た、けれど随分と堅い声だ。足を肩幅に開き両腕を後ろに回した”休め”のポーズで叶の隣に立っていた男は、叶と同じ色をした碧眼で女性を映した。

「なんだい”クールボーイ”」
「その魔方陣は、要訳すれば人類の存在する他世界を検索し繋ぐ機能を持っているのだったな」
「そう、そのための演算式もしっかり組み込まれている。それがどうした?」
「人類が存在している世界なのだから転移後に肉体や精神が崩壊する心配は無い。それは理解したが、転移先のポイント如何によってはそうも言えないのではないか」

 如月翠。自分と瓜二つの外見を持つが中身は正反対な兄の言葉に、叶もまた翡翠の瞳へ顔を向けた。確かに転移した先が海中や活火山やらでは話しにならない。身を守る魔法や魔術も転移の最中は陣にどんな影響を与えるか未知数なために使用できないのだから、そこのところは重要だ。

「安心をおし。転移の為にはまず人類を探さなければならないんだよ。おのずと転移先も人類の生息している近くに絞られる。ま、人類犇めく摩天楼のただ中に転移したりしたら何が起こるかわかったもんじゃないからね、ある程度の人口が密集している、転移可能エリアの端っこが転移先になるけれど、転移先にはこの部屋と同じ面積をした開けた土地が勝手に選ばれる。そこへ帰還用の魔方陣が刻まれるから、戻るときはそれを使いな」

 もっとも、魔力の再充填に数日はかかるがね。付け足された説明にもかかわらず成る程と兄が頷いた。1つの疑問が解消したら別の疑問を見失うのは兄の悪い癖である。

「待ってくれよ、数日かかるって、此方と彼方の時間経過速度が同じとは限らないだろう? 此方の一日が彼方の一年かもしれないんだぜ。いつ充填されるかわからないんじゃ碌な探索も出来ない。それに、俺達が陣の上に乗ったとして君にそれが感知できるのかい? まさかこの魔方陣を俺達に自力で操作しろって言うんじゃないよな? というか向こうの魔方陣を維持していられるとも思えないんだけど?」

 魔方陣というのは小さな傷1つで誤作動を起こす精密な代物だ。機械と同じく操作にも知識が要される。直接魔力を変換して使用するタイプの魔法に長けた叶と翠では当然、専門外の分野である。行って帰ってこれないような実験ならば付き合うのは御免被りたい。
 続けざまの質問に、ミーラ=ミューノは面倒くさげに眉根を顰めた。腕を組み、コツリ、ハイヒールで真っ白い床を踏む。コツリ、コツリ、

「時間の経過に関しては行ってみなけりゃ分からないね。というかそれも調査内容に込みだよ。だから保障はしかねる」
「それは……他の任務に差し障るのであればこの話は断」
「だ・が、向こうで何年経過しようがこっちじゃ数日だ。あんたらの体はこの世界の所有物なんだから成長速度も此方の時間である、筈さ。違ってもアタシら魔女にとっちゃ若返る手段なんぞ幾らもある。大した問題じゃぁ無い。そうだろう”クールボーイズ”」
「賢者の石からエリクサーでも練成しろって言うのかい?」
「或いは悪魔とでも契約しな。それはアタシの知ったこっちゃない」

 無茶苦茶だ。

「練成は錬金術であって魔術ではないぞ愚弟」
「いや知ってるよ!」
「魔方陣に関する質問の答えだが、まず操作は此方で、アタシとこの子とで行う」
「えぇ!?」

 驚声が上がる。この部屋に呼び出された最後の一人である少女、寿桜花のものだ。がっちり肩を組むようにして捕まってしまった日本人の少女は大きな黒い瞳を皿のように丸くした。

「わ、私ですか!?」
「そうだよ”ニュークリア・ガール”、アンタがこの実験の主力で要さ。アンタの膨大な魔力でこの魔方陣を動かすんだよ。ボス以外には、アンタにしか出来ない仕事さ」
「ええぇぇ……」

 不安げに少女は呻くけれど、叶はなるほどと納得していた。桜花の額に当てられたバンダナ。そこに隠されている第三の瞳『邪眼』は、人間の身に生まれながら神に比類する魔力を持つ稀有な者の証である。ゆえにその魔力波は特徴的で、発動すればほとんどの魔女がそれを感知できてしまう。彼女の魔力を使うならば、充填された瞬間に魔方陣を介して発生する魔力波でどこにいようと気づく事が出来るというわけだ。
 ミーラ=ミューノは続ける。

「それに、帰還用の魔方陣は単なる印だよ。犬猫のションベンと同じ、マーキングさ。だから焼印が雨風に晒されて目に見えなくなったって作動する。魔方陣を刻む場所は物質世界じゃぁなく、精神世界側にだからね。だからこの魔方陣さえあればノープロブレムってわけさ。そしてアンタらが魔方陣にちょいと魔力で干渉すりゃぁ、あとはこっちで引きずり戻してやるよ」
「成る程、理屈は理解できたけれど……桜花ちゃんの魔力を使うなら、充填は一瞬で可能じゃないかい?」
「ガラスのコップでナイアガラの滝から水を汲めってのかい? そんな馬鹿がいるならお目にかかりたいもんだね」
「あー……」

 寿桜花は魔女になって日が浅く、未だその膨大な魔力をコントロールし切れてない。確かにそんな彼女に一度で魔力の充填などさせたりしたら、入れすぎるのは目に見えている事だった。

「あの、ボスにお願いした方が確実じゃないですか……?」
「あの人は安易に魔力を使えない立場にあるんだよ。核爆弾みたいなもんさ。国際問題になっちまう」
「私は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だから使うのさ。大人には色々と事情ってもんがあるんだよお嬢さん」
「あぁ……国が核を保有すると問題視されるけれど個人ならば騒がれない、みたいな感じですか?」
「そんなところさ。 ……さて、おしゃべりはそろそろ終いにしようじゃないかボーイミーツガール。この実験は我らがボス公認のもんで、つまりアタシら飼い犬に拒否権なんぞ無いんだよ。ベッドの上の処女じゃあるまいし、いつまでもきゃーきゃーもったいつけて無いでとっとと陣の中央に立ちな」
「やれやれ、相変らず横暴だなぁこの組織は。ベッドの上なら乱暴にされるのも嫌いじゃないけど、たまには足開くタイミングくらいこっちで決めさせて欲しいよ」

 下品な言葉遊びに乗っかれば横手から生真面目な兄の鉄拳が降ってきた。痛いだの煩いだのとじゃれあいながら魔方陣の中央へ向かう。それなりの距離を歩いて辿り着いたその場所には、半径1m.程度の内に何も書かれていない円があった。2人でその中に踏み入る。互いの背中をつけて立つのは、転移先で何事か起こったときにすぐ対処が出来るように、だ。

『それじゃあ始めるよ!』

 遠く拡声器を通した声が言う。

「そういえばすぐ発動させられるのこれ! 充填時間は!?」
『あらかじめウチの術師どもが充填してあるんだよ! さぁ歯ァ食いしばんな!!』

 なるほど、と、納得する間も無く魔方陣が光を放ち始めた。室内に魔力が充ちる。眩しさに瞼を閉じれば地面が消失した。世界から上下左右の概念が消える。確かな感覚を求めて後ろ手につないだ兄の手を強く握った。同じ強さで握り返される。なんだかそれだけで何が起きても大丈夫な気がして、叶はまどろむように微笑んだ。














「ん? ……なんだ? うわっ!?」

 瞬かれた緋色の瞳が警戒の色を帯びて彼方を見やる。一斉に空へ飛び立った鳥たちが大地へ幾つもの影を過ぎらせ、遅れて足元を幾種かの小さな動物達が駆け抜けていった。摘んだ薬草を入れたカゴがひっくり返りかけたのを見て慌ててそれを持ち上げる。
 動物達を見送って、青年は戸惑い顔で頭を掻いた。

「……なんだったんだ? 今の」

 顔を動物達が逃げてきた方へ向ける。何か大きな物音を聞いた覚えもなければ、山火事が起きている気配も無い。見る限り、何の変哲も無いように思われた。
 だがこの先で何事かが起きているらしい。
 にぃやりと、青年の口の端がつりあがった。双眸が好奇心に煌く。とさり、カゴが地面に落ちた。

「寄り道しちゃえ!」

 声にしたそのときにはもう駆け出している。
 野鹿のような軽やかさで、青年の影は森の奥へと溶け込んだ。
 
 

 






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