どこか遠くで、端的な爆音が聞こえていた。















 耳に響く警報は、赤いランプの点滅にあわせひどく鬱陶しい。
 真っ白に塗られた清潔で拒絶的な廊下。そこを思い出したように現れては埋め尽くす重装備の警備員。
 薄汚れた布を纏った幼い死神(しにがみ)は「死」を撒き散らしながら駆け抜けてゆく、鮮血を頭から滝のようにかぶっても顔色一つ変えずに・・・・・・

 ふと、その死神が足を止めた。
 何かに魅入られるように、何かに呼ばれたように。

 その隙を突いたつもりか、マシンガンを発砲する警備員数人。
 それに対し、死神は鬱陶しげに眉を顰め、無防備に立ち尽くしているだけだった。
 しかし弾丸はその死神から一定の距離ではじかれ廊下に転がる。
 それはまるで、見えない何かがその死神を護っているかのようで、

 けだるげにその死神は白く細い腕を挙げる。
 その右手に、何の奇跡か、青く燃えさかる炎が生まれた。



 ――――――――  総員、退避――――っ!!!!! ――――――――― 



 野太い男の声が響き、しかし死神の放った火炎の劫火(ごうか)にたちまち飲み込まれていく。
 その惨劇に、特に興味をそそられるわけでもなく、死神は黒髪を爆風に舞わせながら壁を―――否、そこにある白く無機質な扉を見つめた。

 そして、何かを呟いた。

 その声は細く高い、少女のソプラノが奏でる歌。
 その歌が途切れ、同時にそのちいさな死神が扉に触れれば、唐突にそれは地響きに近く低い音を一帯に響かせ壁ごと崩れ落ちた。
 爆風が砕けた壁の細かい砂塵や埃を舞わせ、死神の頬をなぜる。
 それにすらなんら気をとられることも無く、死神は土煙も収まらぬうちに歩みだし殺風景な室内を見回した。
 その時、死神の開けた穴から声が響く。



 ―――――― 止まれ、bR! ――――――――



 振り向いたそこに、白衣に身を包んだ男女が立っていた。
 そこに至り、初めてその死神は変化を見せた。
 意外そうに目をわずかばかし見開き、呟く。



「おとうさん。おかあさん?」



 その声が届いたのか偶然か、その男女は両手を広げて優しい声で死神に語り掛ける。



 ――――― こんなところまで来て、さぁ、一緒に部屋まで帰ろう ―――――――
 ――――― 今日の訓練はお休みにしましょう、だからほら、おいで ――――――



 それでも幼い死神は動かない。



 ――――― さぁ、こっちへ来るんだ。いい子だから ――――――――
 ――――― こちらへいらっしゃい。お母さんを困らせないで ――――――――



 先ほどより幾分か苛立った声で、けれど優しく取り繕って男女は言う。
 しかしその死神は動かず、ただ二人の瞳を交互に見比べていた。
 その黒い瞳はドブ川のように濁り、そして恐怖と支配者の見下した輝きが宿っているだけで、決して「親」と呼ばれる者の目ではなかった。
 幼い死神は困ったような輝きにその黒い、けれど清んだ瞳を曇らせて、それからふいときびすを返した――――何かをあきらめ、悟ったように、

 その背後で、一つ銃声が鳴り響いた。

 ほぼ同時に、その死神の肩を鉛玉が貫いて鮮血を撒き散らした。
 振り返ると、「おとうさん」と呼ばれた男が銃を構えていた。その目は憎しみに近い黒いものが渦巻き、女にも同等のものが見て取れた。



「おとうさん?」



 問うような幼い声に、男が答える。



 ―――――残念だよ、せっかくお前を造ってやったのに、飼い犬に噛まれた気分だ――――



 入れ替わるように女が言う。



 ――――産んでもらった恩も忘れて脱走するなんて、お前はとんだ失敗作だわ――――
 ――――お前をそこまで改造するのにどれだけの金がかかったと思っているんだ―――
 ――――この役立たずのゴミ――――
 ――――データもみんな燃やしてしまって、どうしてくれる――――
 ――――あなた、こんなもの、早く壊してしまいましょう――――
 ――――そうだな、見ているのも汚らわしい――――



 そしてまた鳴る銃声。
 今度は頬をかすめる。
 驚いたように頬を触った手には真っ赤な血がついていた。



 ――――この弾はオリハルコン製だ。実験動物程度の結界
(バリアー)では防げんわ――――



 得意げに、支配者の声で男が言いリボルバーを引く。
 しかし今度はあたらなかった。
 小さな死神が身をかがめ、それを避けたのだ。



 ――――くそ、なまいきな――――



 呻く男女に向かい地を滑るように駆けて、弾丸すべてを避けて死神は手を伸ばした。
 男の首へ

 ごきゅ
 背筋の寒くなるような音が響き、男の動きが止まってそのまま人形のように崩れ落ち、その身の半分ほどしかない死神の小さな細い手にぶら下がる。



 ―――― ひっ ――――



 喉の奥で鳴った悲鳴に気づいたように死神はその女へ目を向け、まるで子供がいらないおもちゃをそうするように無造作に絶命した「おとうさん」を捨てた。



 ―――― あ、あ、あああ、ば、―――――――― 化け物 ――――



 それが、その女の放った最後の言葉だった。
 幼い死神は「おとうさん」の上に「おかあさん」を抛(ほう)り、呟いた。



「これ、いらない」



 それから何の未練も情もなくきびすを返し、目の前にそびえるそれを見た。
 部屋の天井高くまでそびえる銀の扉。
 死神はそれに歩み寄り、何の不審も抱かず触れた。



「呼んでる」



 軽く触れたその手に応えたのか、扉はひとりでに開いた。
 扉の向こうは金色(こんじき)の光に包まれ、何も見えなかった。
 けれどその死神は何の不審も抱かず、むしろ安心しきった声で呟いた。



「いま、いくね。」



 その顔は満面の笑みに彩(いろど)られ、聖女のようにすら見えた。
 そのままその死神は扉へと身を倒し、光にその身を投げ出した。








 安らかに、「少女」は目を閉じ眠りに落ちていった。











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