幾千年幾億年。一体どれほどの時間が流れたのだろう。
 ただ諾々と自分はここに留まり続けている。
 その意味など、とうの昔に霧散し拡散してしまったのやもしれない。
 意識は混濁し、世界と同義になっていく。


























 そんなある時唐突に、
 その少女は現れた。


「ぅ・・・っく・・・ぇ・・・」


 空には上弦の月が掛かっている。
 小さな小さなオンナノコ。
 幼子とは、このような時間に出歩くものだっただろうか?

 否。
 それよりも、


「っ・・・ぅ・・・」


 幼子は、このように声を殺して泣くものだっただろうか?
 痛みを
 悲しみを
 不条理を
 飲み込んで泣くものだっただろうか。

 そう疑問に思った時、
 妾
(わらわ)は足元で泣くその女童(めのわらわに話しかけていた。


『そなた、そなた』
「ふぇっ・・・・・・っだれぇ?」


 驚いた。
 まさか妾の声が聞こえるとは。
 驚愕を飲み込んで、その幼子に囁きかける。


『妾はこの木に宿る者』
「きぃ〜?」


 奇妙なアクセントの声。
 しかし厭らしくは無く、むしろ幼さと純粋さと、少々愚鈍な印象を受ける。


「こん、なか、おんのぉ?」
『そうじゃ。この内におる。』


 ぺちぺちと大木の幹を叩く女童に頷けば、涙でくしゃくしゃになった顔をきょとんと上げる。
 何するかと見ていれば、女童は幹にその小さな耳を押し付けた。


「・・・・・・ごうごう言うてる・・・・・・」


 それは木の中を水が登る音だろう。


「こんなかに、おんの・・・・・・?」
『そうじゃ。』
「・・・・・・ひとりなん?」


 独り?
 この小さな山には精霊の、生命の、妖精たちの力が満ちている。
 けれどその中に、会話が出来るほどの自我を持つ者はいない。

 ただ感情を共有するだけ。
 それが不満とは思わぬが、
 成る程、自分は独りだろう。


『そう・・・じゃな。妾は、独りじゃ。』
「さみしぃ?」


 寂しい?
 そのようなことは、この世界に存在した時より、一度も、考えたことも無かった。

 無かったが。

 世界中に満ち満ちていた噎せ返るほどのマナ。
 それが薄れていくことで実感した、木々が花々が草々が大地が大気が海が河が空が精霊が妖精が穢れ踏み躙られ奪われ失われていくことを。
 妾独りを、この大木に残して。


 あぁ、


『寂しい・・・・・・のだろうな。』


 否、寂しかったのだ。ずっとずっと昔から、自分は。
 ただそれに、気づかなかっただけで。


「ひとりは・・・いややよ」


 幼子は、呟いて顔をくしゃりと歪めた。


「ひとりは、こあいよ」


 独りは、怖い?
 独りは、怖いのか。


「こあいの、いやぁ、よぉ・・・っ」


 ―――何故、この幼い童は孤独が怖いと震えて泣くのか。
 このような幼き童子が、何故
(なにゆえ)に・・・?


『独りを、知るか。そなたは。』
「ひとりは・・・いやぁ・・・」
『そうか・・・・・・』


 知るのか。
 独りを。
 このような幼く無邪気であるはずの、何の業も罪も無い童が。
 
 昔は違った。
 誰も孤独などではなかった。
 空も大地もその間も。この世界にはマナが満ち溢れ、生ける者も死し者も姿在りし者も姿無き者も言葉話し者も言葉無き者も、
 全て、皆が、
 ――――共に。

 なのに、
 今は、 
 孤独に泣くのか、このような童が。

 それほど、
 この、世界は・・・。


『・・・泣くな。泣くでない、そこな女童。』
「ふ、え・・・?」
『確かに世界は変わってしもうた。夢幻に犇くほど在しておった我らが同胞とも、意識を通わす事すら出来ぬようになって幾年月が経ったものか・・・。』
「む、げん?はら・・・から?」
『だが、そなたは独りでは無い。』


 女童が、目を瞬き大木を仰ぎ見る。
 その瞳に映らぬと、知りながらも妾は微笑んだ。


『そなたは我らの声が聞けるではないか。』
「こ・・・え?」
『独りを嘆く時にはじっと耳を澄ますが良い。そなたならば聞こえる筈じゃ。
 水の声風の声木々の囁き花の唄。此の世に生れ落ちた日より、孤独である者など居りはせぬ。』



 そう、独りである筈が無いのだ。
 どれほどマナが薄れようとも、精が霊が妖が多く死に消えようとも。
 例え人が
 我らの声に、耳を塞ごうとも。
 








『我らは――――確かに此処に在る。









 此処に、
 この、世界に。


「わ・・・ぁ」


 茂るが良い、我が宿りし大木よ。
 妾の力を食らうて、今一度、花を咲かせて見せよ。


 この、
 孤独に泣く女童の為に。


「すごい、すごい・・・!きれぇ・・・」
『さぁ、そなたはもう帰るが良い、人の子よ。』
「ふえ?」
『散る花びらが、麓まで汝を導くだろう。』
「みち、び、く?」
『妾の力を食い光るその花弁を、追いかければ良い。―――さぁ』


 行け。森に食われる前に。
 帰れ。現を忘れる前に。
 群れの中へ、
 人の中へ、
 帰れ。


「けど、また、ひとりなるよ?」
『妾は平気じゃ。言葉は交わせずとも此処にはまだマナが在る。』
「まな?」
『さぁ、さぁ、行くが良い。』


 花弁に押され、駆けた足が再び止まる。
 振り返り、女童は紅葉のように小さな手を振った。


「ばいばい」
















***
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