誰かが言った。
『時は来た。』
 誰かが嘆いた。
『止められぬ。』
 誰かが叫ぶ。
『始まりだ。』
 そして運命は動き出す。


























 きゅっ、と、蛇口を左に捻って水を止め、茜はふにゅうと溜息らしきものを吐き出した。
 そして、本当やのにと小さく呟く。

 10年前の“あの日”から、茜の耳は誰にも聞こえない音を聞き取るようになった。
 その時茜は6歳で、だから記憶は酷く曖昧なのだけれど。

 自分に向けられた怒声。
 顔を殴られて壁にぶつけた時の衝撃。
 見下ろす拒絶の瞳。
 吐きかけられた言葉。
 重い玄関を飛び出した先の闇。
 闇の濃い道を転々と灯す街灯。
 

 断片的に思い出す光景の全てが、今なお二人の間で封をされ黙秘され続けている。

 
 街の外れにある小さな緑の深い山。
 泣きながら逃げるように、
 踏み入っていた。
 そして

 優しい声。
 咲き誇る大木。
 満開の――――――桜。





『―――独りでは無い。』





 この世界が、
 多くの、目に見える以上のモノで満ちていると、
 教えてくれた声。
 
 光る花びらを追いかけて、
 気がつけば兄の腕の中にいた。


「何で兄ぃやんには聞こえへんのやろ・・・」


 兄にも、友達にも、誰にも、
 聞こえない、声。
 聞こえればいいのに、皆にも。
 そうすればこの世界で、
 独りだと泣く人は、きっと1人もいなくなるのに。


 耳を澄ませば、ほら、
 大地の中だけじゃない、
 大気の中にだって、彼らは居る。
 聞こえる。
 声が




 ドンッ
「っ!!?」




 耳を澄まそうとした刹那、大太鼓を強く一度叩いたような音が一つ聞こえて反射的に耳を塞ぐ。
 キィ・・・ンと空気が甲高く震え、脳を揺さぶる。


 ―――なに、何・・・?!


 混乱し、その場に膝を着いた茜は、
 ギシリ、と、
 硝子と硝子を擦り合わせたような音にビクリと震えた。

 ギシリ、ギシリと、
 何かの軋む音がそこかしこで断続的に鳴る。
















 それは、
 
世界が軋む音。
















 日常の音が、波が引くように遠のいて行く。
 やがて足元から、

 声が、急速に這い登ってくる。


「や・・・っ」


 ざわざわごうごう
 近づいてくる数多の声に、
 茜は初めて恐怖した。


「いやや・・・っ」


 呟いたと同時、
 まるで空気と音が入れ替わったかのように、
 世界が音で満たされた。


「う・・・ぁっ」


 音音音音声声声声
 異国の言葉で、或いはただの音で、
 一斉に囁かれていた言葉が、
 唐突に、
 意味を持つ。


 ―――原始
「なに・・・っ」


 ――――宿業――――

        
破戒
             
審判
       
拍動           輪廻          烙印
           
断罪
          
空言          永劫
            
煉獄           回帰
        幽遠
             灰塵            
悠遠
              
涙珠
        
遥昔          天涯 
           
終極
       
紅涙

 ――――空劫――――



 一斉に、そしてばらばらに囁かれる幾多の単語。
 

「なん・・・っ」


 好き勝手に囁きあっていた声が、
 まったく同じ言葉を発する。




 ――――さぁ、




 その声達は、
 破滅を、破壊を、
 混乱を、混迷を、
 切望するかのように、
 悲嘆と憤怒と哀愁と憎悪に満ちた声音で、
 宣言する。


 『最後の――』






 ―――― 
最後審判来たれり ――――



















***
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