淡い水色の壁がぐるりと囲む広い応接室(ドローイング・ルーム)。壁とは打って変わった暖色系で揃えられた家具のうち、目にやさしい鮮やかな蜜柑色をした柔らかな三人掛けのソファに身を横たえ沈める女性が一人いた。
 この広い空間のなか唯一の有機物であるその女性はそう、大層な美人だった。細くしなやかな肢体は猫を思わせ、雑誌の文字を追う黒い瞳はまなじりが釣り上がりその奥にはいかにも勝ち気そうな強い光が眠っている。身に纏うのは体のラインを強調するぴちっとしたボディコンで、太ももの半ばまでしかないスカートからは鹿のような素足が覗き無防備に高く組まれている。色は足元に落ちているピンヒールと揃って蛍光色のドピンクカラー。何を思ってそんな色をと思うほど目に痛い色だが、不思議なことに着ているのが彼女というそれだけでそのインパクトは薄れている。――つまりはまぁ、とても似合っているのだ。
 そんな彼女は髪の色まで鮮やかな桃色で、その豊かな髪は今ソファの肘掛にもたれた頭から垂れ下がり薄い絨毯のうえへ落ちている。誰かいるときであれば近くを通った拍子にでも踏んでしまいそうなほどの長さだが、手入れは行き届いており艶めいていて柔らかそうだ。踏んだなら確実に滑って転ぶだろう。

 ……と、ふいに壁の一角に並ぶ数種のランプのうち、緑色のものが甲高いブザーを響かせつつ光を放った。それを聞いた女性は眉尻を器用に吊り上げると雑誌を無造作に閉じて立ち上がり、ヒールを足に引っ掻け履いて通る途中にあるワゴンへ差し込みそのまま壁へと向かった。壁両端で内側へ向かいアーチを描く二つの廊下のうち右側へ進んだ先、女性が辿り着いたのはここもまた広びろとした部屋だった。奥行のある長方形をした空間に家具と呼べるようなものはない。あるのは部屋の四隅に鎮座する高さ一メートルはあるだろう緑色のロック・クリスタル。そして床一面に描かれた複雑怪奇な紋様のみ。淡く緑に発光し続けていたそれらの中央にやがて光が収束し一等強く輝き―――弾けた。










 エレベーターが停止する時に感じる浮遊感を二乗したような感覚。その不快感がまだ残る間に表皮がブレるような痺れが走る。物質転移装置を使おうが魔方陣を使用しようが転移の際にかかる負担もこの嫌な不快感もそう変わるものでなく、冒険者一行はそれぞれ軽く頭を振りつつ立ち上がった。とはいえセルビオラの精巧な魔方陣を使用しているからこそまだこの程度の後遺症ですんでいるのだが。

 「――おかえり。」と、ふいにかけられた怜悧な声に彼らは部屋の入り口へ視線をめぐらせた。そこに腕組み立っていた全体的に桃色の女性の姿を見て取って「桃華お姉さま!!」 真っ先にアザミィが喜色満面発達した運動神経を無駄に活用し弾けるように陣から飛び出すと目の前に詰まれた戦利品の山を盛大に崩しつつ女性に抱きついた。否、抱きしめた。


「ただいま!桃華お姉さま。見て見て!! 凄いでしょう、大黒字!!」
「アザミィさん、傷がついたら価値が下がるでしょう蹴散らさないでください」
「はう……ごめんなさい」
「単細胞が」
「なんですってぇ!!」
「煩いわよアザミィ」


 セルビオラの苦情にしゅんとなり、ウールセルドの呟きに怒鳴ったアザミィを容赦なく切り、再び沈んだ色んな意味で忙しない彼女の腕をどけた女性――明城桃華はカツコツとヒールを高らかに鳴らしながら前へ歩み出た。コツリ、と、立ち止まったのは服の埃を払う子供の前。腕を組み、細く整えられた眉を跳ね上げる。


「何この子。アンタ達”ソロモン”の遺跡まで財宝探し(トレジャーハント)に行っていたんじゃないの? 保護するならするで、きちんとその国の保護機関に届けなさいよ」
「桃華、彼は【ソロモンの指輪】だよ」


 至極最もな突っ込みに、しかしにっこりと笑ってライラが告げる。その言葉に桃華は無言で眼を剥いた。
 「……なんですって?」息を詰める彼女の前で<12人の子供>の一人はその愛くるしい子供の外見に相応しくにこりと笑ってみせる。ぎゅっ、と眉間に皺を寄せた明城桃華は「こんな子供が……ハジマリ?」戸惑うように呟き少年を見つめ、やがてふいと顔を逸らしたかと思えば「そんなこと、どうだっていいわよ。」語尾を強く言い捨てて、脇の金貨の山から一握りと半ばまで埋まっていた銀細工の腕輪を無造作に引っつかんだかと思えば踵を返した。そのまま部屋を出ようとする彼女の背へウールセルドの批難が突き刺さる。


「オイ!勝手に持っていくな泥棒猫」
「煩い駄犬、追加料金よ。半月も留守番してやったんだからこれぐらいは貰わないと割に合わないわ」
「野良猫に半月も寝床を提供してやったんだろうが。大体留守番料なら先払いで充分な額を渡しただろ」
「だ・か・ら追加料金よ。そうそうライラ、今丁度金のレートが上がってて売り時よ。この金貨、模様を見る限りよく出回ってるヤツで歴史的価値は低いからそっちで売りなさい」
「ん、わかった。ありがとももちゃん」
「ふん」


 顎を逸らして鼻を鳴らし、さらりと髪を揺らして明城桃華は颯爽と扉の向こうに消えていった。「待てッ!」怒鳴りウールセルドが追い駆けたものの最早あの妖艶な女の姿は影も形も見えない。人狼が不機嫌に舌打ちするのを見て、【ソロモンの指輪】がこてりと首を傾げてみせた。


「今の中々見目麗しい女性は君達の何なのだい?仲間にしては興味深いやり取りだったけれど」
「……彼女は明城桃華。リーダーの古い友人だそうで、よくこの”ホーム”へ出入りしている人です。力を借りることもありますが、我々のチームに所属しているわけではありませんね」
「ふぅん、そうかい」
「ねぇ、とりあえずリビング行こうよ。こんなとこで喋っててもしょうがないデショ?」


 「………それもそうですね。」ふぅ、と笑った魔導師が頷いて、漸く一行は転移室の扉を潜ったのだった。
 



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「それじゃー俺とせるびーはギルドに帰還報告と、金貨の換金に行ってくるから【ソロモンの指環】にホームの紹介とかよろしくね」
「まっかせといて!」
「宝の整理や分配は明日以降に行いますので手はつけないでいてください。修繕の必要な武器防具類があればいつもどおりに纏めて武器庫の机にまとめておいてくださいね。あと、獣形態で歩くなら足を拭くのを忘れないで下さいよウールセルドさん」
「わかっている」
「ならばよいのですが。アザミィさん、もし夕飯の買出しへ行くならカードは私の部屋の机の、一番上の鍵がかかっていない方の引き出しに入れてありますからいつも通りそれで支払いをして下さいね。部屋のロックは解除しておきましたから」
「はーい」
「では、行ってまいります」
「いってらっしゃい!」


 ばたり。アザミィに見送られ玄関の扉が閉められる。一般の住宅に備わっている扉と違って分厚く堅固なホームの扉は重い音が特徴的だ。はふぅと息を吐いて緊張を解し(何せ半月も”仕事”をしていたのだ。最前線で戦う重剣士の彼女はその間ほぼずっと神経を張り巡らせることになる)くるりと身体を反転させた。その先で物珍しげに”ホーム”を見回す子供へにこり、笑いかけた。


「どう? 私達の”ホーム”は!」
「”ホーム”……ギルドに在籍しチームを形成している者達が拠点として使用する基地兼住居。だったかな? 620年ほど以前にマスターと何度か訪れたことはあるけれど住むとなると初めての経験だよ」
「ろっぴゃ……」
「とてもいい雰囲気だね。部屋全体が半円形なのは実に良い工夫だと思うよ。半円形の空間が癒し効果を与えるのは僕が生まれる以前から周知の事であったけれど、僕の知る限りで応接室(ドローイングルーム)がこんな形だった”ホーム”はなかったからね。それに積極的に暖色系を使っているのも明るくていいね。だけど暖炉は無いのかい?」
「え、ええっと……暖炉は床暖房だからいらないんだと思う。それにレッドホープは暖かい方だし……?」
「レッドホープ! かつて世界を暗雲の渦に飲み込んだ魔王ラヴィジフォル=ヲ=サタナスを打ち破った勇者、レムラス=シーヤの生まれた地として名高いあの国かい。紀元前746年から続く歴史の古い国だね。一度訪れたことがあるけれど、どの国よりも様々な物や人が溢れかえった場所だった。今もそうなのかい?」
「…………ええっと……う、んそうそう。人も物もここなら何でも揃うのよ。……まぁ、今はネットで買えば全国どこでも宅配してくれるんだけど。」
「へぇ! どこでもと言うとまさかあの魔の空白地帯『白の森』でもかい?」
「え、あ、いや……どー……なんだろ、住んだこと無いからわかんないや」
「お前ら、まだ此処で喋っていたのか?」


 突っ込んだのは洗面所で足を洗って戻ってきた狼姿のウールセルドだ。彼の鋭い五感ならば二人が何処にいるかなど勿論把握していただろうからいつまでも動く気配の無い二人に呆れての台詞だろう。壁に掛かっている丸時計を見れば既にライラ達が出かけて7分は経過している。


「い、今から別の部屋紹介しに行くところだったのよ! 行こっ! ええと……」
「【ソロモンの指環】だよアザミィ」
「いや、それはわかってんだけど……」


 呼び難い。言い辛いではなく呼び難い。だってどう聞いても物を示している名詞なのに者を指しているのだ。「なんか、抵抗あるっていうか……」頭を掻きつつぼやく彼女に、少年の頬が緩んだ。


「君は随分と恵まれた環境で育ったようだね」
「へ?」
「君を君として形作った者達は良識ある人物達だったのだろうね。それは本来なら当たり前と言ってもいい事だが、とても貴重で、とても良いことだ」
「はぁ……どうも……?」


 よくわからないが褒められているようなのでとりあえず礼を言うアザミィに、にっこりと【ソロモンの指環】が笑みを深めた。満面に近い笑顔にアザミィもつられて笑う。なんだ、笑ったらすごく可愛いじゃない。
 そっと、少年の小さな手がアザミィの手を取り自身の胸の高さまで持ち上げた。


「呼び辛いと言うならば、アザミィが僕に名前をくれないかい?」
「へ、え?」
「君が付けてくれるのならばどのような名前でも構わない」


 駄目かな? 不安げに首を傾けられアザミィはぶんぶんと首が飛ばんばかりに左右に振る。駄目だなんてそんなことあるわけがない。だけど、でも、


「えと、でも、私がつけちゃって本当にいいのかな」
「うん。さっきまではライラに名づけてもらう予定だったのだけれど、何故だろうね、気が変わったんだ」
「ふぅん……」
「それに、今名づけなければ不便なのだろう?」
「まぁ……それはそうなんだけど」


 本当にいいのかなぁ。呟きつつも乗り気ではあるらしい。えーっと、と視線を彷徨わせ始める。


「アイリス……ミント……マリーゴールド……んー全部可愛らしすぎるよね。ううん……ローダンセ……フリージア?」
「どうして植物の名前ばかりなんだ貴様」
「うっさいわね、何か悪い?」
「犬猫に名前をつけるわけではないんだぞ」
「わかってるわよ!」


 ウールセルドの茶々に怒鳴り返して植物の名前を候補から消す。植物の名前が悪いとは思わないのだがこのまま植物から選べば嫌味を言われのは目に見えている。だがそうなると途端に何も思いつかなくなって、


「うー……ううー……」
「……嬉しいけれど、そんなに悩んでくれなくても構わないのだよ?」
「そんなこと言われても……あ。」
「?」


 何か思い浮かんだらしい彼女に【ソロモンの指環】は言葉を待つ。少年の手を握り返してアザミィは自信満々に「アメジスト!」弾む声で紡いだ。


「私達のチームが冒険団<煌く星達(jewelry)>って言うの。だから、それにちなんで宝石のアメジスト! 髪の色も綺麗な紫だしぴったりでしょ!!」
「おい……だから犬猫に名前をつけるわけではないんだぞ」
「なによーいい名前でしょー?!」
「アメジスト……」


 喧騒を他所に【ソロモンの指環】が小さく呟く。アメジスト。今度は飲み込むように繰り返して、それから笑った。子供が宝物を掌に包み込んだ時のような、そんな嬉しさと幸福に満ちた笑顔。


「うん……とても良い名前だよ」
「でしょ! 気に入ってくれた?」
「うん。ありがとう、アザミィ」


 にこにこと二人で笑い合う。そんな二人にどうやら蚊帳の外らしい人狼はフンと鼻を鳴らして絨毯の上のクッションに丸くなると一度尻尾をぱさりと払って瞼を閉じた。そういえば長旅で一番疲れたのは彼だろう。何せ成人男性一人をずっと背中に乗せていたのだから。
 そんなウールセルドの様子など視界にも入れずアメジストの小さな手を引いて、アザミィは言った。


「それじゃ、武器庫から案内するね!」



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