先に、二匹を包み込む優しい沈黙を破ったのは、やはりネロだった。


「レオおじちゃんは、今夜、どこに泊まるの?」


 軽く首をかしげて、期待に瞳を輝かせて問われ、
 レオは微笑み、
 その金瞳に空の蒼を映して
 揺れる草木の音色に耳を澄まして
 その、異国の香りを纏(まと)う毛並みに風をはらんで
 歌うように言葉を紡ぐ


「猫じゃらしの海に抱かれて
 あるいは木の根のベッドで
 夜の子たちの駆ける中。
 風の子守唄を聞きながら」


 ―――眠るんだ。
 つまり、有体に言ってしまえば野宿ということだ。
 その答えに、ネロの瞳がいっそう輝いた。
 興奮を表すように、その黒い耳と尻尾がぴんとまっすぐ天を向いて直立する。


「じゃあ、じゃあっ!家においでよっ」


 半ば叫ぶように言って、無意識にだろう、レオのマントに爪を引っ掛け、いまにでも走り出しそうな勢いで拙(つたな)くネロはまくし立てる。


「ママのご飯、おいしいよ? お部屋、一つ、空いてるよ?」


 うなずいてほしかった。
 この風のようにとらえどころが無く自由な旅猫と、もっと一緒にいたかった。
 だから、そのマントにすがる。


「それからね、お風呂も―――――僕は嫌いだけど、あるし、ね。パパもやさしいし、うんとね、それから・・うんと・・」


 必死に言葉を探すが、なかなか思いつかない。
 だんだん焦れて、言葉は尻すぼみになり消えてゆく。
 その必死さに、
 苦笑とも微笑ともつかない笑みをうかべたレオは


「それじゃあ」


 と、呟いてネロの言葉をさらう。
 その金の瞳を覗き込む茶色の瞳がまん丸にふくらみ、
 旅猫の帽子が二匹の間に柔(やわ)らかな影を落とす。


「親御さんが、良いといってくださったなら、お言葉に甘えさせていただこうかな。」


 ネロの顔が、満面の笑みに輝いた。


「こっちだよっ」


 興奮に抑えきれなかった声を置き去りにし、ネロは爪を引っ掛けたまま突然走り出す。
 一歩遅れたレオは、それでも上体を前かがみにし、マントが破けてしまわないよう、歩幅を調整しつつ、前を走るネロと同じ速さで追いかける。
 代えのマントなんて持ってはいない。もし破けてしまえば、当分は破れたマントで旅を続けなくてはならなくなるだろう。

 体温を奪う雨から
 照りつける太陽の日差しから
 巻き上がる砂嵐から
 身を守ってくれるマントは、旅に欠かせないものだ。
 破れたら、少し困る。

 猫じゃらしの森を掻き分け、ニ匹の歩調に合わせてざわめく猫じゃらしの合唱を耳いっぱいに聞いて、毬のように疾走するネロの黒い耳とレオの帽子から出た銀褐色にの耳がぴくぴくとせわしなく動く。
 ネロはマントをつかみ、レオは帽子の鍔を支えて、
 杖が走るのにあわせてしゃらしゃらと鳴り騒ぎ、それが猫じゃらしの合唱と交じり合い、一つの合唱になって、ニ匹の耳いっぱいに広がって、
 楽しみながらも小石に気をつけながら走るレオの前で、
 ネロが転んだ。



















「あっ」

 びっ

「おっと」

















 杖を持っている方の腕で器用に倒れるネロを抱き掬い、自分も止まる。
 ちらりと目をやったマントは、すこし破れてしまっていたが、まぁ、これぐらいなら大した問題にはならないだろうと、レオは肩をすくめた。


「大丈夫かい?」


 優しく訊ねると、ネロがうなずいた。


「うん、でも」
 ――――――マント


 小さく呟かれた後悔の言葉に、レオは「ああ、」と呟く。
 どうやら、つかんでいた感覚で破けた事に気づいたらしい。
 しょぼんと伏せられた耳の間にぱふぱふと手を乗せて、レオは落ち込むネロを慰めるでもなく撫でた。


「問題はないよ。でも、これからは、気をつけたほうがいいね。」


 それでも伏せった顔をあげないネロに、レオはどうしたものかと思案し、
 ふと、立ち上がる。
 そのまま一歩、ニ歩、三歩と進み、ネロが何だろうと見つめる中、振り返り、ネロの正面、距離感的には1メートルほど、実際には60センチほどの距離でまっすぐにネロを見返し、手を差し伸べた。



「さぁ、恵の光、太陽はまだ遥か頭上の天に燦々(さんさん)と輝き、大地を照らしている。
 そう焦る必要はない。
 この広大な猫じゃらしの海の小波に、
 吹き行く春の風の腕(かいな)に、
 抱かれながらその喜びを歌い、大地を踏みしめて歩こうではないか。」
 



 世界の輝きをその瞳に映し、レオは言う。




「世界を旅する私には、真、全てが新しい。」


 世界という舞台の俳優のように。
 劇役者のように、
 けれど上辺だけの軽薄さは無く、
 その金の瞳を輝かせて、
 風にマントをはらませながらレオは言った。
 まったくの偽り無く。
 
 その姿に呆然と見惚れたネロは、その顔を輝かせ、背筋を伸ばして一歩、その旅猫に歩み寄ると、
 右手を胸にあて、ぺこりと一つお辞儀をした。








「我らが故郷、レジェン=ヴァーインへようこそ。ヴァーインの春が、あなたを祝福しています。」







 サァ・・・っと、風がまた、猫じゃらしの森を静かに揺らした。
 その風は、ニ匹の猫を優しく抱きこむ。
 それは流れる春という女神の抱擁。
 猫じゃらしの合唱は歓迎の歌。
 それらを一対の金の宝玉に映し、グレイの旅猫は帽子をとって胸にあて、ぺこりと同じように一礼した。


「春と、そしてあなたに出会えたことを、レジェンの女神に感謝します。ありがとう」


 それは、レジェンの世界共通の、歓迎のあいさつだった。
 この美しく広大な、
 レオが旅し、ネロたちが生きて死ぬ世界。





                        レジェン




 ヴァーインとは、ネロの故郷であるこの土地の名前であり、この土地を守護し見守る女神の名前だ。
 猫じゃらしの森の中で、ニ匹の猫は見つめあい、微笑をかわした。
 ―――風が、ニ匹を抱いていた。

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