「―――ふむ、成る程…」 先ほどの邂逅から20分ほど。事情を説明し終えた桜花の言葉に、今は椅子に座るボスは顎に手を沿えそう呟く。何故表世界では入手しえないはずの魔道書が自分の元へ来たのか。現在この魔法協会内で起こっているというごたごたと関係は。そんな疑念を強く宿し真っ直ぐボスを見据える桜花に、しかし彼は酷くあっさりと告げた―――「まぁ、これといった問題は無いでしょう。」と。 あまりに予想外であまりに楽観的なその返答に、思わず「え?」と言葉を漏らし桜花達は目を瞠る。 「もん…だい無い…?」 「はい。魔道書とは元々意思を持つ本です。あなたのその魔力に呼ばれたところで何ら不思議ではありません。」 そんな桜花の驚きも戸惑いも無視して、にっこりと、ボスは強制力のある笑みを浮かべて続けた。 「三ヶ月前に観測された魔力波も、あなたの魔力と本の魔力の相互干渉によって発生したものでしょうし、でしたらやはり問題はありませんね。」 「し、しかしボス、お言葉を返すようですが、そのような現象はそうそう起こりえる、こと、では…」 納得が出来ない、と、言外に翠が言葉を向ける。しかしそれはボスの変わらぬ微笑に圧倒されるが如く尻すぼみに消えてしまう。そんな翠に、ボスは「ええ」と頷いた。 「確かに、そうそう起こりえる現象ではありません。―――邪眼能力者が現れることも、ね。」 翠はそれに息を呑む。 つまり確率の問題を言うのであれば邪眼などという十億分の一の確率がこうして発症しえたその時点でそれ以上の可能性の問題は全て発生しうるのだと、目の前に座るこの男はそう言っているのだ。 それは強引な仮説ではあったが、現にこうして桜花は魔道書と出会い、邪眼という能力を保有している。 けれど、 それだけでは済まされない納得できない予感めいた感覚があった。 そして魔女という神秘の人種はそういった予感や直感に遵って生きている。 「タイミングが良すぎます。」 その予感に従い言葉を重ねた翠に、しかしボスは微笑を崩す事無く答えた。 「変動とはそういうものだよ“クールボーイ”。平穏な時には何も起こらず、波乱が起きたときそれは連続し連結し重複しそして解決へと導いてゆく。そして再び平穏が訪れる。」 人生は平穏と波乱を繰り返しているし、世界は不変と変動のサイクルの中で成り立っている。 言われて見ればなるほど確かにそうなのだろう。そうでなければ世界も人もただ停滞し時だけが無情に流れ全ては意味を見失う。 それを或は理想の世界と呼ぶのかもしれないが、それは理想であって現実ではない。 現実は平穏と波乱を繰り返し、そして変動や異変が続けざまに発生する事態のことを波乱と呼ぶ。 ならば他の大きな異変の中で桜花という人物を中心に発生したこの二つの異変はさして注目するべき事象ではないのだろう。 ボスはそう言っているのだ。 そしてそれは正しく心理だ。 言葉を無くした翠には最早関心を示す事無く、ボスは第三の瞳で桜花を見た。 「あなたはこのまま彼等“クレイジーボーイズ”の所属する『魔女団(カヴン)』へ加盟することをお勧めします。…もし魔道師協会(ギルド)へ加盟したいのであれば、何か一つ功績を示してください。そうすれば、私が直々に推薦状をお書きしましょう。――他者へ誇れる魔女としての結果を出し、それから改めて此処を訪れてください。」 「解りました。…けれど、魔女団とギルドの違いが解らないのですが……どう違うのでしょう?」 「それらの疑問には“クレイジーボーイズ”が答えてくれるでしょう。魔道師協会本部内内部の案内や各部屋の説明も彼らに任せます。宜しいですね?」 「りょーかいしました。ボス。」 「は。了解しました。」 対照的なけれど同じ同意の返答に、ボスは爽やかな笑みを浮かべ頷いた。 「では、もう下がってかまいませんよ。」 「はっ」 「はい。」 「りょーかーい」 再び、今度は三者三様の返事をして退室しようとしたその背後に、 今思い出したとでも言うように再びボスの声がかかる。 「あぁ、そうそう。“ノイズボーイ”は残ってください」 「は?」 突然の指名に目を瞬いて振り返った叶に、瞬間翠の責めるような視線が突き刺さった。 「貴様、今度はどんな問題を起こした。」 「えー俺そんなに問題ばっか起こしてないってー」 「女性職員女性魔女の方々からあなたの素行に関しての苦情がたぁっぷり届いていますよ」 変わらぬ温厚な笑みを浮かべて言われ、叶の軽薄な笑みが凍りつき翠と桜花二人分の冷たい視線が突き刺さる。それはもうぶすぶすと。 「うわー何したんですか?叶さん?」 「え、え、なんでいきなり敬語?俺って今そんなに距離取りたくなるほど印象最悪?」 「貴様の印象なんぞ元々最悪だこの痴呆。しっかり怒られて来い。」 冷たく冷徹で侮蔑と嫌悪のたっぷり練りこまれた眼差しで言い捨てて、翠はそのまま桜花を連れて部屋を出て行ってしまった。 そんな双子の兄であり相棒である翠の反応に困り顔で頭を掻いた叶は、深く溜息を吐き出しボスに向き直る。その視線の先、ボスは相変わらず底の知れない笑みを浮かべて彼を見返す。 二人きりになるといつも抱く、正体の知れない野獣の巣窟に一人放り込まれたかのような、そんな感情が足元から這い上がってくるのを笑って叶は押さえつけた。 「いい加減その合言葉やめません〜?」 「おや、どうしてだね? この合言葉が一番皆に疑われ難いのだが。」 「それじゃあまるで俺がレディに迷惑掛けまくってるナンパ男みたいじゃないすか」 肩をすくめてへらりと笑って言う。まったく己の普段の行いを省みていない台詞である。 いや、理解してしらばっくれているのか。 「まぁ、そんなことはどうでもいいでしょう。時間もあまり無いようですし、本題に入らせてもらいます。」 「余裕の無い男はモテませんよ?」 「生憎君ほど熱心に女性を求めてはいませんのでご心配なく。それに私はどちらかといいますと男性のほうが好きですので。」 「はっはっは俺には男色の気はありませんよ?」 「はははは私もあなたに夜の相手をしてもらうほど悪食ではありませんよ。」 にっこり笑顔で猛吹雪炸裂。 一通り毒を撒き散らした両者は満足したのか居住まいを正し本題へと移る。 「で? 俺の調査報告に何か問題でも?」 「いいえ、いつもと変わらず完璧(パーフェクト)でしたよ【奇術師(マジシャン)】。」 「それは何よりです【神々の愛児(ゴッド・チルド)】」 ゆったりと笑みながら、魔女達の頂点に立つ男は叶の持つもう一つの仕事名で彼を呼び、叶もまたボスをあまり知られていない隠名で呼ぶ。 その表情は先ほどまでのソレと変わらぬはずなのに、 まとう雰囲気は、深い深い底なしの闇を知る者のモノで。 「ただ、問題点を挙げるとすれば」 ボスが口を開く。 もったいぶるようにそこで区切り、引き出しに仕舞ってあった分厚い書類の束を取り出しぱらぱらと捲って残る言葉を続けた。 「調査対象となった魔女団を"全て"壊滅させてしまったことぐらいでしょうかね。」 そこに綴られているのは、ここ数日中に殉職した千を越える魔女の名前。 その約99%が一人の魔女の手によって魂を死神に渡されたなどと、いったい誰が思おうか。 それを成し得た青年は、 笑う。 「――――それのどこに問題が?」 ただ、当たり前のことを当たり前にやっただけでしょう?と、 無垢な子供のようにあどけなく、そしてそうであって露悪的に。けれどどこか泣き出す寸前の幼子のように笑って言う。 その瞳に、光は無い。 ただ空虚で空っぽな瞳で、叶は笑顔のまま小首をかしげて続ける。 「俺だけを指名したってことは、そういうことなんでしょ?」 その問いに、 ボスはただ上品に微笑んだ。 「―――大人には、建前というものが必要なのですよ。」 それは遠まわしな肯定。 それに「大人って面倒くさいですねー」と囃した叶は、まぁいいですけどねと言葉を返した。 「俺はこの協会に鎖で繋がれた“不幸(グアイ)”ですから。今更文句なんて言いませんよ。」 「それはよかった。あなたが与えられる任務に文句を言うようになったりしたら、私はあなたの抹殺を別の誰かに指示しなくてはならなくなりますからね。」 「文句なんていいませんよ〜。どーせ俺が拒否ったって、他の誰かが手ェ汚すだけなんでしょー。」 何の気負いもなく言われた言葉に何の気負いもなく返す叶。 にっこりと、ボスは頷くことすらせずに答えた。 「ええ。何も変わりません。」 「…だったら文句なんて言いませんよ、無駄じゃないですか。それにそんなら、もう汚れてる俺が手ェ下すほうがよっぽどいいでしょーし?」 「だから私はあなたが好きですよ【奇術師(マジシャン)】。これからもどうか協会の為に“不幸(グアイ)”でいてくださいね。」 「っはは、俺が他の何になれるってのボスってば。」 笑う。それが当たり前の事なのだと。 そんな叶に、ボスは深く微笑み引き出しから一冊のファイルを取り出し差し出した。 「何?次の任務?」 「ええ、あなたの好きそうな、ね。」 許可され、叶がファイルを手に持ち開けば、一番最初に目に映ったのは女性の写真。 ウェーブがかった薄い茶髪を高く後ろに括り、茶色がかった黒い瞳で叶を見返すその女性に、笑った。 「何、召喚部のジェニファちゃんじゃん。この子消すの?」 「ご存知でしたか。流石プレイボーイと名高い“ノイズボーイ”ですね。…いいえ? あなたには、その女性を口説いてもらいたいのですよ。」 「……へぇ、つまり、情報収集、ね。」 「しばらくお遊びは控えていただく事になるでしょうが、任せられますね?」 「もっちろん。」 無邪気に笑い、ファイルを閉じる。これ以上の会話は必要ない。詳しい任務内容は、全てこのファイルに入っているから。 特定のものにしか開けぬ封印の施された、このファイルに。 「ではでは、今度こそ失礼させていただきます。」 「ええ、期待していますよ。―――それと、これは判りきっていることでしょうが、彼女を決して奪われないように。」 「核爆弾みたいなモンだもんねー、アイツラに盗られたら、歴史に残る大惨事になるだろーねぇ」 「でしょうね。表にも影響をきたすでしょう。ですから、」 「絶対に。りょーかいしましたー」 “彼女” それが誰か口に出す事無く会話を終わらせ叶は扉へ向かう。 バタン、と、重い扉は閉められた。 ***** TOP NEXT |