ごみごみとした人人が行き交う街並みをロキはまるで何かを探すように見つめていた。
 その漆黒の瞳はゆったりと、しかしきょろきょろと辺りを見回している。
 何を探しているというのか。
 人でも探しているのか、
 どこぞの量販店の前に申し訳程度に植えられた低木を囲む赤茶けた煉瓦の上に軽く腰掛けて、真夏の日差しを容赦なく受けながらその黒髪を帽子で庇うこともせず、ロキはただし線をさまよわせる。
 街並みを行く者は誰も彼の少年に意識を向けたりはしない。ただ視覚的情報として無意識の中に整理するのみである。
 どこか獲物を求める獅子を思わせるその眼差しが、ふと一点で止まった。
 哂う。


「さぁ、今度の悪意は美味か不味か・・・」


 誰にとも無く囁いて、ロキはその何かを追い歩き出した。


















 高く昇った日の光も届かぬ黴臭い路地裏で、怒声と哄笑が木霊する。
 それを視界に納め、ロキはくすりと微笑んだ。
 眼下では、一人の少年が三人ばかりの男に囲まれて竦んでいる。
 別に珍しくも無い――――恐喝、である。とはいっても、被害にあっている方は堪ったものではないだろう。


「だぁから、金貸してくれればいーんだってぇ」
「そーそー。そしたら何もしないからさー」
「い、いや、あの・・・」
「んだよ、さっさと金出せよっ!」
「やれやれ、そう声を荒げるものではないよ君。見苦しいことこの上ない。まったく品性を疑うね。あぁ、疑う程度の品性も、元々持ち合わせちゃあいなさそうだね。これは失礼。」


 少年の声、では無い。
 もっと優雅で気品に溢れていて―――悪く言ってしまえば見下しているとしか思えない不遜で威圧的な、ボーイソプラノの音域の声。
 気色ばんで振り返る男達だったが、そこが吹き溜まりの袋小路であるにも拘らず、声の主は背後の一本通路にはいない。
 否。


「どこを見ているのだね?」


 声に日の光を遮る高ビルの隙間を見上げる。
 薄暗いその空中に、その子供は確かに浮いていた。


「な、なんだ!?」
「だから声を荒げるものではないと言っているだろう?本当につくづく品性の欠片も無い連中だね君たちは。ゲルマンの無頼漢達でさえもう少しの――――あぁ、そんなことも無いか。いやすまない、あの山猿雪男共とて君達と大同小異であったよ。失言だったね、失礼。」


 男の一人が上げた定型どおりの悲鳴まがいな問いには答えず、しかしどう取り繕っても侮辱しているとしか思えない物言いでくすくすと微笑しながら子供―――ロキはゆっくりと降下する。
 理解を超えた闖入者に、ロキの足が地に付いても男と、その少年は口を開き呆然と立ち尽くすばかりだった。


「どうしたのかね?いくら自分自身が阿呆だからって、わざわざそれを体現する必要も無いだろう。――――あぁ、僕の美しさに見惚れたというのならばその感性だけは褒めてあげようまぁ、当たり前すぎて嬉しくも無いがね。」


 脳紺色のスーツに包まれた肩を竦め、言い捨てロキは一歩歩みを進める。そこでようやく呆けていた男は我に返ったのだろう、ロキに身構え、しかし矢張りどこか腰の引けた風で怒鳴り散らした。


「お、お前、このガキ、どこからっ」
「おや、君は風体だけでなく目も悪くしているのかい?それは可哀想に、大いに同情するよ。」
「煩ェ!!舐めんじゃねぇぞ!ガキが空から降ってくるなんてあるわけねーだろーがっ!一体どんなトリックを」
「トリック?ありえない?ハハッ、くだらないねぇ、まったくもってくだらないよ。」


 喚く声に、しかしロキは一切動じることも無く嘲弄を浮かべる。
 子供の相貌にはあまりにも似つかわしくないその笑みに、雰囲気に、呑まれて男たちが一歩退いた。
 同じ距離を、一歩踏み出して詰める。


「それは全て君たちの中にある亀の甲羅ほども無い狭く小さな常識とやらの話だろう?一体如何様にして君たちのような知識も教養も無い高々十数年を無為に生きたに過ぎない存在がありえることとありえないことを区別しえるというのだい?」
「な、何言って」
「そもそも現実とは何だい?君たちを囲む嘘と偽りと虚像に彩られたその世界が、そんなにも確かなものなのかい?」


 ゆっくりと、獣が獲物を追い詰めるように小さな歩みを進め、そもそも単語単語の意味を理解しあぐねている彼らに問いかける。


「君たちの見ている物物は本当に本物なのかい?そう言い切れるのかい?成る程ならば見えている部分は本物としよう。じゃあ見えていない部分は?」
「は・・・?」
「やれやれ、解りの悪い脳味噌だね。ならばたとえ話をしよう。君たちは今、この路地裏の景観を視覚から情報として脳に伝達し、それを過去の記憶と照らし合わせ意識に浮上させその上で本物か否かを判断している。―――――――まぁ、つまるところ君たちが見えているものは見えているままのモノとしようということさ。」


 また一歩、歩みを進める。困惑する男達は動くことも忘れ達弁な子供を凝視する。


「だが、見えていない部分で何が起こっているかなど君たちに知りようが無い、そうだろう?だから君たちが見えていない僕の背中は肥大と収縮を繰り返し蠢き口を開けているのかもしれない、と、こういうことさ。」
「は、はは、ばっかじゃねぇの、んなの、あるわけ」
「そうでなくとも」


 ぴたり、と。自ららを鼓舞するように無理やり乾いた笑みを浮かべる男達からぎりぎり背中が見えない位置で立ち止まり、ロキはにやりと笑った。


「僕が後ろ手に刃物や銃器を持っていたとして、君たちは依然知り得ないということだよ。」


 その言葉の意味を男達が理解するよりも早く、
 闇が彼らを覆い尽くした。


















「ふむ・・・やはり金欲程度の魔では大して腹も膨れない上に不味だね。しかし現代の人の街で最も蔓延っているのはこれだし・・・贅沢は言えないねぇ。」


 清潔なハンカチで口元をぬぐい、うんざりと呟くロキの足元には――――三人の男が各々横たわっていた。否、鴨にされていた少年も勘定に入れるならば四人の男が、だ。
 死んでいるのではない。浅く呼吸をしているのから見て、深く眠っているのだろう。ただし、いかような力を持って眠らされたのかは計り知れないが。
 それを齎した子供はハンカチを仕舞い、倒れるそれに一瞥もくれず背を向ける。
 そのまま歩き出そうとした足は、しかし持ち上がる前に停止した。


「おやおや、これは・・・まいったね。まさか見物人がいたとは。」


 二十メートルほども無い真っ直ぐで狭い通路の角から、声に誘われたかのようにして黒い革靴が覗き糊の利いたグレイのスーツが現れ、褐色の肌を持った青年が、悠然とたたずむロキと対峙した。
 瞳孔の狭まった、そう、まるで蛇のような金色の瞳がロキを見つめる。睨むのでも畏怖するのでもなく、ただ真っ直ぐにその青年は視線を注いだ。

 その金色に浮かぶのは
 愁念。

 ロキは表情を動かさずに疑問符を浮かべた。


「・・・―――・・・ロキ、様。ですね。」


 形の良い青年の唇が空気を震わさず小さく何かを囁き、しかし違う呼びかけを言の葉に乗せた。それに別段頓着するでもなしに値踏みするように青年を上から下、下から上へと凝視しロキは口を開く。


「如何にも僕はロキという名を持っている。だがそれが君の探す存在であることの肯定にはならないだろう。君の探すロキはどのロキだ?」


 拒絶的、としか取り様の無い声音に、青年の瞳が悲痛に歪む。けれどそれは瞼の裏に隠されて、その青年はロキが疑問を募らせるより前に片膝をつき、頭を下げた。


「お初に御目文字申し上げます。私は海、夜彦。神話界より人間界へ堕神なされた奸神ロキ様のお世話を致したく、参上仕りました。」


 その宣言に、ロキは笑い呟いた。




「成る程ね。」




 その瞳に浮かぶのは 

 
憎悪
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