「お茶会を開きましょう」
 美貌の女神フレイヤの目が眩むほどの笑顔での提案に、奸神ロキはキョトンと目を瞬いた。



   03.  談笑

「――申し訳ないのだけれどね麗しき女神様、一体何をどうしてどういう経緯を辿ればそれほどまでに突飛なアイディアが君の艶やかな唇から飛び出すのかということを愚昧な俺に噛み砕いて説明していただけるかな?」

 不覚にも驚きをそのまま顔に出してしまった自分を恥じ、眉間に人差し指を押し当て、引き攣った笑みを辛うじて湛えたロキは搾り出すようにして問いかけた。
 知り合って数百年来の付き合いだ。この最も美しいとされる女神の、突然の我侭や思いつきには既に慣れた。が、毎回もう少し、もう少しでいいから前振りというものが欲しいとロキなどは思う。そして出来れば自分は巻き込まれず安全な場所から傍観して楽しめるような提案をして欲しい。
 常に騒動の渦中を陣取っているといっても過言ではないロキではあるが、自分が被害者になる様な騒動ははっきり言って、心の底から謹んで辞退したいのだ。しかし毎回その願いは聞き届けられず、恐らくは今回も同様だろうその忸怩だる願いを口にする事は数百年前に諦めている――――つまり、出会ってそう経たないうちに。

 フレイヤは譬えるなら嵐か猛る炎だろう。一種魅力的なまでの破壊力で周囲を巻き込み、肥大する災害。巻き込まれてしまったのならばいかに奸神ロキといえども諦めるしか道は無いのだ。
 解ってはいる。十分に理解している。しかしそれでも、せめて説明くらいは求めたって罰は当らない筈だ。ロキの問いかけに、フレイヤは涼しい目元を眇め、朱を引いた唇で弧を描き、猫を思わせる仕草でロキにしな垂れかかった。

「突飛なんかじゃないわよぅ、仲の良い友人同士で集まってお茶会を開くなんて、ごく普通のことだと思わない?」
「『普通』! その言葉ほど一義的で主観に満ちた信用なら無い言葉は無いだろうね、ヴァン神族の美姫」
「相変わらず良く回る舌ね、ロキ。私を褒め称える以外の言葉を紡ぐというのならそんな口縫い付けておしまいなさい」
「ああ、君のその舌は蕩けるほどに甘く熱いというのに相変わらずそこから紡がれる言の葉は吹雪すらも凍て付かせるほどに冷たく鋭いねフレイヤ。その氷片が君の髪に散らばり煌いて、ただでさえ美しい君の姿を引き立てているようだ」

 微笑を湛えて恐ろしい事を口にするフレイヤへ美麗字句を捲し立て、夕焼けよりもなお鮮やかに燃える髪の一房に口付ければ、フレイヤは満足げな表情を浮かべ、くすくすと微笑をもらしてからその肢体を離す。そして、にこにこと一歩も引く気の無い笑顔で両手の指を絡め言った。

「わたくしと、あなたと、お兄様は絶対よ。それからシギュンにシフも誘いましょう。バルドルも! トールは呼んでは駄目よ、だって宴会になってしまうじゃない。勿論、オーディンも駄目。堅苦しくなってしまうもの。あぁそうだわ、イドゥンも呼びましょうか。そしてブラギに詩をうたってもらうの!」
「ブラギだって?」

  軽蔑を隠そうともせずに顔を顰めてロキは並べられる美神の言葉を遮った。

「彼を呼ぶくらいならばトールを呼んだほうがよほどマシじゃないか」
「あら、あなた彼のこと嫌いだったかしら」
「俺が彼を嫌っているのではないよフレイヤ。アイツが俺を嫌っているのさ」
「そう、つまりあなた"も"嫌いなのね」

 トリックスターのことならば彼の妻よりも理解している美の女神は肩をそびやかして返し、じゃあブラギはダメね、と指先で宙に×を描いた。折角の御茶会なのだから和やかに楽しく過ごしたい。

「あとは、そうね、ヘイムダルはどう?」
「おいおい……麗しの君、トリックスターと門番の不仲を君は承知していなかったかな?」
「そういえばあなた達って、どうして仲が悪いの?」
「そりゃあ、調和と親交と協定を貴む俺としてはこのアスガルドに居を置く誰しもと仲良くやりたいところなのだが、生憎と神々の方はそう思ってくれないらしくてね。困ったお方々だよ」
「つまり、あなた"も"嫌いなのね」
「流石はフレイヤ、よくご存じで」

 おどけて返せば美貌の女神は肩をそびやかす。その首元で黄金の首飾りが陽光にきらきらと瞬いて視線を奪われた。そして、あの首飾りを巡っても彼の門番とは一戦交えたものだとロキは思い出す。

 女神の首元を飾る、この世で最も美しい呪われた黄金の首飾り、ブリーシンガメン。

 実際のところ、と、ロキは視線を首飾りから外し景色を眺めるふりをして分析する。この麗しき美神は、寂しいのだろう。彼女がこの首飾りを手に入れた為に最愛の夫を失ってから既に久しい。猫の引くソリに乗って夫オードの事を世界を何周も巡り探し続けていたフレイヤが、諦めを抱いてアスガルドへ戻ってきたのはつい最近のことなのだ。
 慰めに幾人の男と肌を合わせても胸に空いた穴は埋まらない。わかってはいても代価行為を求めずにはいられないのだろう。愛されるために美しく生まれた豊穣の女神は、存外寂しがり屋なのである。
 ふぅ、とひとつ溜め息を吐いた。

「ちょっと、ロキ、聞いていて?」
「勿論さ麗しの女神。それで、お茶会はいつ頃開催するのかな?」
「まぁ……」

 太陽が水平線から顔を出すように。あるいは朝日に花が綻ぶようにして開くように。フレイヤの美貌が喜色ばんだ。

「嬉しいわロキ、招かれてくれるのね」
「愛の女神、君に招かれて断る愚か者など何れの世界を隅々まで探したところでただの一人も存在しないだろうよ」
「まぁ、相変わらず調子の良いひとね」

 ころころと口許に手を添え笑う姿は年端もいかぬ少女の純真さだ。普段の妖艶すぎるほどに蠱惑的なフレイヤも勿論大いに好むところだけれど、むしろ自分や親しい者達だけに見せる、こんな無知な幼女の如きあけすけに親愛の浮かぶ表情の方がロキには好ましく感じられる。
 ――というか、
 可愛いのだ。相当に。こういう顔をしている時のフレイヤは。
 それはもう、ひねくれ者を自覚するロキでさえ無条件に甘やかしたくなるほどに。
 まるでこの世で最も尊いものがこの豊艶な身体や頭蓋にいっぱい詰め込まれているようだ。優しく大切に育んであげたくなる。心が素直になって、なんだか豊かな心持ちになれる。
 たぶん、これもまた彼女の象徴する"愛"とかいう得体の知れないものの側面なのだろう。

「俺にしては素直な賛辞のつもりだよ、フレイヤ」

 くすり、微笑んでその頭を撫でる。

「君を拒絶するということは、ありとあらゆる愛を拒むに等しい行為だ。慈愛も、家族愛も、自己愛も、敬愛も、愛玩も、愛着も、愛欲さえも、ありとあらゆる愛に少しも心が奮えない者ならば成る程あるいは君を拒めるかもしれないが、けれどそんな者はもはや生きていなければ死んですらいない。それは無だ。無価値だ。招かれる価値無き例外を除外すれば、やはり神話界・地上界・地下界、三界の何処にも、愛の化神たる君の誘いを拒める者など、存在し得ないさ」

 嘯くトリックスターの口車に女神はただクスクスと微笑をこぼして撫でるロキの手へ擦り寄る。艶然というよりは可憐なその仕草に、ロキの瞳が優しげな茶金色にじんわり煌めいた。傷痕のある口許は柔く微かにつり上がっている。
 トールやオーディン、それに犬猿の仲たるブラギやヘイムダルが見たならば驚きを通り越して恐怖すらしただろう穏やかな、フレイヤと二人きりだからこそ見せる無警戒に幸福げな微笑。それは、あるいは兄が愛しい妹へ向ける親愛に似ているかもしれない。

 ――あぁ、まったく。
 ロキは心穏やかに愛で充たされている己を苦笑し胸中で嘆く。

「お茶会には、地上界の美味しいお茶とケーキを用意しよう。鷹の羽衣を纏い風を切って大陸を渡り、このロキが、君の必ず満足する素晴らしいお茶会にしようじゃあないか」
「まぁ……!」

 嬉しい、ロキ、大好きよ!
 感極まった様子で抱きつかれ、頬に親愛のキスが降る。
 艶美な肢体を抱き締め返しながらロキは宙空を見上げて自身へ向けて、やれやれとごく軽い溜め息を吐き出した。

 ――あぁ、まったく。
 本当に、自分は彼女に甘いなぁ。

***************
 06← TOP →01
 








H240511