「宮部佐太郎をロストした。率直に居場所と現状を”買い”たい」

 窓ひとつ無い社長室。革張りの肘掛け椅子へ悠然と腰かけて女は告げた。三十路はとうに越えているだろうに老いを見せない肉欲的な四肢をダークブルーのスーツで包み、吸い始めてそう経たない葉巻を指に挟んでモニタへ視線を落としている。ハスキーボイスで告げた内容にそぐわず女の態度が落ち着き払っているのは器の大きさなのか、それとも宮部佐太郎なる人物の生死にさほど関心がないからか。
 画面の中で撫子色が揺れる。その正体は20に届かないだろう若い少女だ。障子を背景にどことなく気だるげな表情の彼女はもしゃりもしゃりと薄茶色のものを咀嚼をし、飲み込んだと思えば膝に落としたらしい菓子屑を拾って舐めた。モナカとかいう彼女気に入りの菓子だ。女はまだ食べたことがないのでどういう菓子なのかを実はよく知らない。

『写真や情報は必要無いわ。奇遇なことに宮部のことは私、知っているから』

 マイクとスピーカーを通して多少ノイズの交ざったメゾソプラノが応え、白銀色の双眸がざっと画面上部をみやる。しかしそこに目当ての情報がなかったのだろう、視線を落としたと思えば何やら操作を始めた。一呼吸ばかし待ってから口を開く。

「えぇ、その“情報”ならば知っているわ。だから真っ先に貴女を頼ったのよ。それで、お値段は幾らほどかしら?」

 ちらり、彼女の視線がずれる。そこに会話窓があるのだろう。――「500」やがて薄い唇からこぼされたのは数字だけの回答。単位の無い値段に、不自然な間が空いた。
 女が虚空へ顔を向ける。葉巻を肉厚な唇へ運び入れると、不自然なほど時間をかけて吸い込んだ。1秒、2秒、3秒……。
 室内には女以外に人影はない。だが、もし誰かいたならば否応にも気づいただろう。秒を重ねるごとに重みを増してゆく室内の空気に。
 ようやっと、女の唇から葉巻が離れた。細く長く紫煙を吐いた女が言葉を放つ。

「単位は当然、ドル、だろうね?」

 Yes以外の回答を許さない問いかけ。声の調子は先程から変わっていないというのに、カメラのレンズに映るブルーの瞳は氷よりも冷ややかだ。
 ゆっくりと、少女の口角が持ち上がる。下がった室温を感じないわけではないだろうに、白銀が楽しげに煌めいた。

「万、と言ったらあなたどうするの?」

 軽やかな囀ずりに、女が左腕をデスクへ乗せた。ギ、と、悲鳴を漏らしたのは椅子か空気か。
 幾分近くなったレンズの中で、女が目元の皺を深めて蠱惑に笑う。

「どうするか、を、問われるのは貴女の方だと思うけれどね【眠りねずみ(ドーマウス)】。この程度の情報にそんな法外な値段をつけたりしたら、貴女、商売上がったりよ?」

 親しげにさえ聞こえる声色で紡がれたのは突きつける銃口のごとき脅しである。まだ歳若く駆け出しの監視屋一人を潰すことなどは情報屋を兼業する女にとって残酷なほどに容易い。それこそ世間話をする程度の容易さで、少女の監視屋生命は絶たれるだろう。
 スイッチでも切ったかのように画面向こうで笑顔が消えた。かといって脅しに怯えたわけでは決してない。先ほどと同じかそれ以上に気だるげに、もっと言えば面倒くさそうに、口角を下げた彼女の口から吐息が漏れた。

「実力行使にでも出るかと思ったわ。あなたと私のこの長い距離をどう縮めて武力を振るうか監視させていただこうと思ったのだけど。――当然“ドル”よ、アリアドネ。私は仕事に見合った対価を支払うし要求する主義なの。報酬は過不足なく。あなたも知っているでしょう」
「えぇ、勿論知っているわ。だからこそ私は貴女を贔屓にしているのだもの。優秀で堅実なる、監視屋・蒲原淳子を、ね」

 きしり、椅子を軋ませ腕を肘掛へ。くすりと吐息を漏らすような笑みは今度こそ友愛に似たものだ。
 雪解けの空気の中、女が葉巻を口へ預ける。そうして空いた手をデスクへ伸ばすとスマートフォンを取り馴れた指使いで何やら手早く操作をし終えた。

「料金は先に払ったわ。時間が惜しいの。商品を頂戴?」

 告げれば監視屋の視線がずれる。その小さな口に丸いモナカをつっこむと、ややあって「確認した」端的にうなずいた。そのままモナカに歯はたてず何やら操作を。

「あなたのロストした和国D地区の三つ葉通りから先……結論から言わせてもらうとF地区のとある雑居ビルに入ってった。ソースとして動画をあなたのPCに送らせてもらったわ。信用ならないのならそれを見てもらえればいい」

 告げられた言葉を受けてあらかじめ開いておいたメールボックスを確認する。丁度添付ファイルを読み込み終えた所だったので圧縮されたそれを解凍にかけつつ、本文中に記載されていた座標を確認しスマートフォンを操作して新規でメールを作成し住所と座標のみを打ち込んで送信した。と、同時に既に解凍を終えている動画を早送りで確認するとPCでもメールの作成を。

「確かに。迅速かつ誠実な仕事に感謝と敬意を。また何かあれば頼むわね」

 などと決まり文句を告げて通話を切ろうとし……ふと、その動きが止まる。「あぁそれと」言いながらその顔に浮かんだのは苦笑だ。

「掃除屋が来るのを待たないで、落とした食べかすはすぐに処理しなさいね、虫が来るわよ」

 それじゃあね、という言葉の代わりに左手をひらりと振り返事も待たずに通話を切った。窓を閉じ、タスクバーから最小に設定してあった窓を画面に出す。そちらもまた通話中のTV通話だった。

「会話は聞いていたな? 動画は届いたか」
『はい』

 画面に映るのは黒のスーツに身を包んだ男だった。童顔で年齢は読み取りづらく、一見しただけでは人畜無害そうな人物である。

「よろしい。ただちにポイントへ移動し状況の把握に努めよ。護り屋へは此方から連絡する。質問は?」
『ありません』
「よろしい。健闘を祈る」
『はっ』

 プツリ。短いやりとりで通話を切ると、休む間もなくスマートフォンに短縮番号を入力した。ワンコール……ツーコール……

『私の財宝はどこ? アリア』

 スリーを数える前に応じた相手は子供のように言い放った。鈴を転がすような、それでいて甘い女の声。アリア、と呼ばれた女は相手に見えもしないだろうに、にっこりと微笑みかける。

「貴女の護り隠すべき荷ならば見つけたわ【迷宮(ラビュリンス)】。部下の車のなかだったわね、移動は始めている?」
『うん』

 年端も行かぬ子供のように相手は頷いた。

「ではそのまま移動を。ポイントへ辿り着いたら連絡を頂戴、追って指示を出すわ。くれぐれも先走っちゃダメよ」
『うん、わかった。……ねぇアリア、あの子はまだ生きているかしら』

 あの小さな男の子。ふわふわと言われたのは宮部佐太郎のことだ。荷物の運搬を依頼した、駆け出しの運び屋。テディベアの中身も知らず、娘への大切な贈り物だという作り話を信じ、たった8万円で大手企業の密売記録が入ったチップの運送という大仕事を受けた哀れな少年のことだ。

「まだ確認はとれていないわ。運び屋自身の運次第でしょうね」

 そんな仕事を知らず受けおわせるよう指示した張本人であるところの女は、しかしすげなくそう言った。そもそも、あの少年を数いる運び屋の中から選んだのは、中身に勘づくほど賢く無く、中身を知って駆引きができるほど経験が無く、かつ何事か問題があれば即座に口封じ出来るように、という人選である。あとはまぁ、可愛いもの好きな護り屋の士気向上にも一役買って貰っているけれど、代わりの運び屋など探せばいるものだし、候補は既に挙げてある。

『そう……。でもね、アリア、私、なんだかあの子はまだ生きているような気がするわ。だってまだコッククハレのてっぺんからハムダヤハは堕ちていないのだもの。こうこうとにび色に輝いているわ。とってもきれい……』
「そうだと私も助かるのだけれどね」

 新しい運び屋を雇う手間が省ける。 

「それじゃあ、また後で」
『うん、また後で』

 プツリと通話を切りもとの位置へ置く。そうすれば途端に室内は沈黙が満ち、ただ時折ジジッとPCの稼動音が聞こえるだけの空間へと様体を変えた。
 女が灰皿へ預けていた葉巻を手に取り唇へと運ぶ。深く吸い込んで味わって吐き出した時には、空間の支配権は沈黙から女の手の中へと戻って来ていた。
 高く足を組み、背凭れへ背広を埋めて深く腰掛ける。真っ赤に塗られた爪が前髪を耳へ流した。蒼玉の双眸がうんざりと細められる。

「まったく、三時間後には会議があるっていうのに堪らないわ」

 初手を嗅ぎ付けられたのは手痛かったが想定の範囲内での痛手に過ぎない。ここから先は此方のターンで、相手のターンなど与えない。盤上の駒は女のモノだ。敵味方無く女王の支配下だ。
 進軍を、殲滅を。そして宝を女王の元へ。

 女王の願いを叶える為に、スマートフォンが嘶いた。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::