トントントン、
 地下への階段を少女は下りる。
 その階段は本来ならば不必要なもの。けれど彼女を含める数多の者達を、そしてこの空間を創造した少女の譲れないこだわりによって、その場所へ行くならば必ず通らねばならない事になっている無機質な階段。
 数えれば25段ある硬い石を降りきれば、目の前にあるのは古びた扉。
 元々がアンティーク調に造られているからか、触れれば壊れてしまいそうな危うさのあるその扉が実は乱暴に蹴り開けても壊れない事を少女は実体験を元に知っていたりする。(最も怒られはしたが。)
 その扉を、さして力を込めず押し開いた少女を密やかなベルの音が迎えた。


「…うおおっ」


 扉を開いた手をそのままに、少女が大きな目をさらに瞠り奇声を上げる。 
 固定された視線の先―――いつもならば「特殊効果!」とかなんとかいう理由でうっすらと埃の積もっているはずの、けれど今日は相変わらず廃墟並みに古びてはいるが一切埃の積もっていない床、の、上に、敷かれた赤い少し硬そうなマット。


 その上に、虎が1頭、その巨躯を横たえていた。


 標準的なオレンジ色の毛並みに、黒の縞模様。遠めにも分かる引き締まった四肢、そして大きな手足には幾つもの大小さまざまな古傷が刻まれ、えもいえぬ威圧感と貫禄をかもし出している。
 額の、少女から見てやや左、と、右顎。それに今は閉じられている瞼の右側に、縦に引き裂いたかのような、一際大きな傷。

 平均よりもやや小柄な少女の体など、その爪のひと薙ぎで吹き飛ばし命を絶てそうな、少女よりも二周り近く大きな、世界最強とさえ呼称されることのある肉食獣が、檻に入れられるでもなく横たわっているのに欠片の恐怖も浮かべる事はなく、少女はゆっくりと、できるだけ音を立てないよう後ろ手に扉を閉めた。
 
 漆黒を映すその瞳に浮かぶのは、歓喜と畏敬。
 ゆっくりと足を踏み出せば、その耳がぴくりと揺れて少女の方を向く。
 それを見て薄っすらと頬に朱を差した少女の顔が嬉しげに綻んだ。
 ついにその虎の間合いにまで踏み込み、しゃがんで少女は眠る虎ににこりと笑む。


「初めましてー。柳沢月留って言いまっす★ イカすおじ様お名前は?」
「……」
「おいコラ」


 上がった第三の声に、少女がん?と顔を上げる。
 視線の先で、奥にある小部屋から戻ってきたらしい月留と同年代くらいだろう少女が半笑いを浮かべこちらを見ていた。


「何?朋美。あ、こんちわー」
「いや挨拶と質問逆だし…つかイカすおじ様て。ないだろその聞き方は。」
「そう?でも女の人に名前聞く時とかだって麗しいお嬢さんお名前はって聞くし」
「聞くな。」


 激しく突っ込んでカウンター内の椅子に座る。朋美、と呼ばれたこの少女こそが数多の世界を、そして月留を含む多くの者を創造し、見守る“創造主”であるなどと、言われても多くの者が冗談としか思わないだろう。
 そのことを知る、全体からすれば極々少数の一人である月留はしかし、特に敬意を払う様子もなく「えー別にいいじゃんー」と笑いながら応じ、ねぇ?と眠る虎に同意を求める。
 しかしその言葉に、それまでほぼ無反応であった虎がふっと瞼を開いた。


「おぁ」


 瞼の下から現れた、緑柱石の瞳に歓声と驚嘆の混じった奇声がこぼれる。
 月留を映して、ふっと微かにその虎が微笑んだ―――気がした。


「おお! 笑った!」
「呆れられてんじゃないの。」
「それでもOK! おはよーざーます! お名前なんですか?」


 きらきらと瞳を輝かせて問う月留に、常識的な思考を持った人間がここにいたならば「動物が喋るわけないだろう」と口を挟んだところだろう。
 だがしかし、ゆっくりと、顔を持ち上げた虎が、体躯を少し持ち上げ、口を開いた。


「―――タリウス」
「タリウスさんだね。よろしくぅ★」


 虎が人語を解したという事になんら驚く様子もなく、軽く敬礼し応じる。そんな月留を見て、朋美がキョトンと目を瞬いた。


「あっれ、マジで喋るって分かってたの? つーか性別アンド年齢も。」
「んー、まぁねー。」


 勘? おどけて言う月留の言葉に、しかし「あぁ、まぁだろうねぇ」とあっさり納得する。月留の第六勘が優れている事など、創造主である朋美と、月留の属する組織のメンバー達にとっては周知の事実だ。
 まぁ兎も角、と、朋美は話しを戻した。


「いらっしゃい月留。急に呼び出して悪かったね。」
「いんや? こーんな素晴らしい方とも出会えたし♪ こーゆー用事なら大歓迎さ★」
「…タリウスに会わせるのが本題だって事も気づいてるわけっすか。」
「はっは、なんとなくねー♪」


 歌うように答える月留に、つられたように朋美も笑う。
 そして、虎――タリウスへと視線を向け、言った。


「私の、まぁ…守護獣?みたいな存在。いわば、魂の伴侶。」
「うっわ、羨ましい!」
「言うと思った。…まぁ兎に角、そういうわけで今度からここにずっといると思われるのでー。」
「つまりいつでもお会いできると!?」
「そゆこと。とりあえず試験的にメンバの一人と会わせておきたくてさ。で、あんたが一番いいかと思って。」
「ぐっじょぶ! 朋美ぐっじょぶ!!」
「いえーい?」


 かなり喜んでいるらしい月留に親指を突き出され喜ばれ、へらりと笑いながら朋美も応じる。
 見ればタリウスも顔をあげ、双眸を眇めた。その表情は、愛娘を見る父のように優しい。


「これから、ま、宜しくね。」
「ういいっす!もっちろんですとも!!」


 拳を握り締め頷く月留に、
 張り切り過ぎられても困るんだがなと思いはしたが、とりあえず「ははは」と朋美は笑ったのだった。












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