『聖魔女術』





 目の前に飛び込んできたその単語に、少女は小さく首をかしげた。
 行きつけの本屋でなぜか参考書の中にまぎれて一冊だけぽつんと異質な雰囲気をかもし出しているそのやたらと分厚い書物に、背表紙をなぞっていた手が止まる。
 誰かが適当な棚に戻したのだろうか、
 ――別に、そういったことは珍しいことではない。彼女自身も、昔、元の棚に戻すのが面倒で推理小説をエロ本の上に置いてきたことだってあるし、それぐらいは結構皆やっていることだ。
 だから、別にそれほど気にすることではない。
 ―――はず、なのだ。
 だが、否応無しに、少女の視線はその本の背に釘付けられたまま、離れない。
 魔女術――ウィッチ・クラフト――女神への信仰
 そんな方程式が浮かぶほどには、オカルトの知識を持ち合わせていたりする彼女
 寿 桜花
 彼女は、オカルトが大好きだったりする。
 そういう人種が、このテの書物を見過ごせるはずもなく―――

「あ、やっちゃった」

 気がついたときにはもう、
 その本を購入した後だった。













 4600円
 それが本の代金だった。
 ―――で、内容は
 魔女術の指南書
 つまり教科書というか、参考書だった。 
 つまりあそこにあったのは偶然でも怠惰の結果でもなく、普通に分類された結果だったらしい。
 しかも、内容結構わかりやすい。
 神秘学に精通している桜花にとっては、という意味だが。
 あらかた目を通したその中で、特に興味を引いたのが第3章の『魔術との相性』という、『白魔法』『黒魔法』『召喚術』などの各種の魔術を紹介し、自分の性格・波長などに合った魔術を探す章の、最終項目にある『先天的なものによってのみ得ることのできる魔術』というところの、一番最後に書かれた単語だった。

 『邪眼―イビル・アイ』

 小説などを読んでいれば結構しょっちゅう目にする単語。
 悪魔の瞳
 この第三の瞳を持つ魔女は、強大な魔力を保有して現世に生れ落ちる。
 ただしその開花の時は個々により異なり、生まれたその瞬間から開花した者から、死ぬその直前まで能力に気づかず生涯を終えた者まで様々。
 10億人に一人の確率で発症。一説によれば、魔王に祝福された者のみが得て生まれるという。また、神の悪戯とも。
 その才を開花させた者は人でありながら魔族・神族の一柱とされる。
 その能力は未知数。
 有を無とし、無を有となさしめ、時の流れさえをも操りえるという。
 
 開花方法
 イメージトレーニング
 運

「っておいおい」

 運ってなんだ運ってのは、
 まぁ、10億分の一の確率じゃあ、確かによっぽど運が良くないとそもそも邪眼自体を保有できないわけだろうけど、
 でも面白そうだ。
 知らず、桜花は挑むような舌なめずりをする。
 10億分の一。
 今現在の人口が地球規模で六十億ちょっと。
 つまり、
 今この瞬間、六人が、邪眼を得ることが出来ているということ。

「面白いじゃない。」

 今度は言葉に出して言ってみた。
 挑むように。










 三ヶ月
 それが、桜花があの本を見つけてから経った時間だった。
 鏡を見ながら、額に意識を集中する。
 それだけで、彼女の額には、あるはずの無い第三の瞳が開いていた。
 そう、

 彼女は邪眼保持者だった。

 いや、そんなご都合主義な、とかツッこまれてもそうだったものはしょうがない。
 彼女は邪眼保持者だったのだ。
 しかもそれだけではなく、彼女は優秀だった。
 魔力の流れを操る術を、それを体外へ放出する術を、『想像力の具現化(イメージ)』により、その魔力に形を与えることを、
 桜花は、この三ヶ月で一通り身につけていた。
 だが彼女に、『自分は選ばれた者だ』という自負は無い。
 彼女がこの瞳を見て抱く思いは一つ。

『面白いおもちゃを手に入れた。』

 その程度だった。
 いや、その程度の認識だったからこそ、彼女は三ヶ月という短期間で急成長を遂げたのだ。
 なぜなら彼女は、
 『ハマったゲームはマスターするまでやり込むタイプ』
 だったりするのだ。
 知り合いにいないだろうか?
 好きなゲームのアイテムを全コンプリートは当たり前。
 隠しキャラまで全てを出現させ、裏技全部試し尽くし、全ての攻撃をマスターし、完全クリアしても二周三周して当然。
 どこに何があるか、どうすればどうなるか。完全に記憶するほどにやりこむ一直線タイプなゲーマーが、 
 それが、彼女、寿桜花だったりするのだ。
 それゆえ彼女は毎日の訓練を絶やすことも無かったし、いまの自分の能力レベルでどれほどのことが出来るのか試し尽くした。
 それらはすべて、彼女にとってはハマったゲームをするのと同じ感覚だったのだ。
 つまりあれだ、

『好きこそものの上手なれ』

 彼女に『訓練』をしているという自覚は無い。
 それゆえに『面倒だ』などの雑念も生まれず――何せハマったら一直線タイプなのだから――彼女の能力はめきめきと頭角を現したのだ。
 さらにいうなら、彼女が、もともと本が好きで、集中力があり、オカルトの知識を有していたことも上達の理由だろう。
 自分が興味を覚えたことばかりはすんなりと理解できる彼女は、そんなわけで三ヶ月でありえないほどの
 魔女 
 になっていた。








 


 今日も今日とて自宅の屋上、晴天の下で、彼女、桜花はトレーニングに励んでいた。
 正しく言えば、トレーニングという名の遊戯(ゲーム)に。

「えっと、」

 まずは利き手――桜花の場合は右―――に、神経を集中させる。
 
 突き出した人差し指の先に、青白い光が集まっていくイメージ。

 ゆっくりと、イメージが具現化されてゆく。
 空に煌めく星の青のように、金平糖のような、円形の光球が指先五oほどの場所で激しく発光し、やがて直径一センチ程度にまで凝縮され、その輝きの濃度を増していく。
 最高級のサファイアのような深く輝く群青色にまでそれを濃縮すると、今度はそれをそのまま指先に固定する。
 不安定であったその魔力の結晶を完全に固定し、次に中指を突き出し、人差し指の先に魔力を固定したまま同じように魔力を発生させ、凝固、濃縮させ、固定し、そのまま他の指の先にも魔力を固定していく。

 失敗すれば、濃縮された魔力は暴走し、その一つでも簡単に術者である桜花の腕を粉みじんに吹き飛ばすだろう威力を保有している。

 それを五指全てに発生・固定させ、一息つくと、今度は反対側の――利き手でないためにいっそうの集中力を要される――左手の人差し指に意識を集中させる。
 耳の奥がジンと痺れ、一切の音を締め出し、その漆黒の瞳は指と、常人には見えない、魔力の流れのみを映し、他の何をも見てはいなかった。
 体の内底から湧き上がる恐怖とも興奮とも取れない感情の潮騒をやり過ごし、首筋をつたう汗の冷たさにすら気づくことは無く、桜花は十指全てに魔力を固定させ終えた。

 今度はそれを、一つずつ解除してゆく。
 右の小指から、順番に。魔力の式をゆっくりと読み解いてゆき、霧散させていく。
 時たま集中力が乱れ、ばぢぢっ、と、光球が小さく揺らぐ。
 それだけで指先に火がついたような痛みが走り、それでも神経を集中させ、暴走だけは食い止める。
 左の人差し指を残すのみとなったとき、桜花は限界を悟った。
 瞬きすらも忘れていたことに気づいてしまい、その集中力が途切れかける。

「つっ」

 仕方なく、桜花はそれを空へと撃ち放った。
 ―――ぅぅぅぅうううううううううううう・・・・
 空を切り裂く摩擦音。三ヶ月の特訓でその音さえも常人には認知できないことを彼女は知っている。
 直線状に空へと伸びていった青白い光線もまた、力有る者にしか見えないらしい。
 物質を爆破しないかぎり、魔力球のみが爆発した場合もまた然り。その、トラックが衝突事故でも起こしたんじゃないかというほどの轟音も、人の耳には感知されない。
 いやはや、ありがたいかぎりだ。
 もしこれが物質としての現象だったならば、彼女は幾度窓ガラスを弁償させられていたことだろう。
 それほどまでの轟音に顔を顰めながら、桜花は全身の筋肉を弛緩させ、へたり込むと盛大に息を吐いた。

「っはぁぁぁあああああ・・・、やっぱ、ここまでしか持たないなぁ」

 どうやらそれが悔しいらしい。クリアできないイベントにぶち当たったようなしかめっ面で、桜花は髪の毛を掻きむしった。

「だぁっくっそ、後ちょっとっぽいんだけどなぁぁ・・・、やっぱ、独学じゃあきっついかなぁ・・・」

 『聖魔女術』という教本に書かれていることが基礎の基礎―――英語で言うところのABCであることに気づくのにそれほど時間はかからなかった。
 ABCの本では、応用までは載っていない。
 それが悩みの種だった。
 図書館に行っても、この本を購入した本屋に行っても、この続きの本は見当たらなかったし、発注を頼んでみても、そんな出版社は無いと言い切られてしまった。
 実際、ネットで検索してみてもヒット件数は0。
 どうやら、表筋では出回っていない類の本だったらしい。
 だったら何故この本はあんな一般の本屋に置いてあったのか。
 だいたい、バーコードに値段が入力してあったということは、その店のマネージャーが金額をパソコンのほうに入力していたということだろう。
 それなのに、そんな本は入荷した記録が無いという。
 わけがわからない。
 この本に書かれている全ての内容はもう暗記してしまったのに。
 手詰まりだ。
 これ以上先に進めない。
 それがひどく口惜しかった。

「くっそぉ・・・」

 いつまでもふてくされていても仕方ないので、いつもの訓練メニューを再開することにした。
 立ち直りと切り替えの速さが桜花の自慢だったりするのだ。
 桜花は上体を起こすと、今度はその右手こぶし全体に意識を集中させ始める。
 ゆっくりと、青白い光が右手を這い登ってゆき、拳を包む。
 その光の塊を、今度は薄く、被うように凝縮させてゆく。
 発光する手袋をつけるように、ゆっくりと、時間をかけて。
 ゆっくりと、何も聞こえなくなるほどに意識を集中させて―――――




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