見渡すほど広い大理石の部屋を出ると、そこはありふれた廊下だった。 魔法等という非現実的な匂いは何処にも無い、本当にごく普通の会社のような味も素っ気も無い幅広の廊下。しかしそこを歩いているのは私服の人間がほとんどで、しかも出身国が統一されていない。 まぁ、機能美という点で考えるならば“会社のような”と称されるこの構造は確かに最も理にかなった造りであるし、魔法を使える者達――翠は魔力保持者と言っていたか――が所属している組織の本拠地であるからといって魔法を駆使した城だとか迷宮のような造りにしなければならないと言う道理は無いだろう。 そう考えればむしろ先ほどの大理石で構成された広い部屋の方が特殊だったのか。そう結論に至った桜花は、しかしあれ?と首を傾げた。 「―――ねぇ翠、どうしてさっきの部屋は大理石で出来ていたの?」 学校の体育館に対し優に3倍はあったあの部屋の床全てが大理石で出来ていたとすれば、あの部屋だけで建設費用は幾らになるか。 組織がそれだけの巨費を費やしてわざわざ造ったのだから意味は在るのだろう。しかし大理石は少し引っかいただけで傷が出来るような代物。それを態々使用する理由とは何だろう。 そんな諸々の疑問が含まれた問いに、しかしあっさりと翠は告げた。 「大理石は硬度が低く魔方陣を刻み易いからだ。」 成る程、硬度の低い事が利点になるのか。 だが、納得するよりも新たな疑問が浮かんで桜花は恐る恐る口を開く。 「…それって、陣に傷も付き易いって事なんじゃないの?」 「そんな不完全な陣を使ってはいない。…まぁ、ごく稀に陣に付いた傷が作用して亜空間に飛ばされる事故が発生したりもするが。」 それって、刻むのが大変だとしても床を鉄仕様にしたほうが安全なんじゃ、とか、本当に稀に程度の頻度なの?等、 色々と言葉は浮かんだがあまりに堂々と言われたため桜花は全て飲み込んで「…ぁー…うん、へーぇ…」と言葉を濁した。 「(私が使うようになったら、改善してくれるよう偉い人に掛け合ってみたほうがいいかな…)」 「ちょっとちょっと!何二人して俺のこと置いて先に行っちゃってんの?!」 ふいに、会話が途切れたのを見計らったかのようなタイミングで後方から声が掛けられて、 振り向いた二人はそこにいる人物を予測していたのだが「驚いた」という体を装って眼を僅かに見開いた。 「あら、叶」 「いたのか」 「うっわひっど。解った。翠ってば桜花ちゃんと二人っきりになりたいんだろムッツリすけべー」 「貴様じゃあるまいし」 「バカ言ってないで早くボスとかいう人のところに案内してよ」 ふざけた叶に素っ気無く応じた桜花の言葉に、 ぴたり、と、 二人の動きが止まる。 「…どうしたの?」 「いや…」 「人…あのヒトが人ねぇ…」 「は?」 矛盾したぼやきに眉根を寄せる。 誤魔化すように、翠は「いや…」と言葉を発した。 「それよりもまず受付でアポイントをとって」 「あ、それならミーラにもう通してもらったから。このまま直で行って大丈夫」 「あら、気が利くじゃない叶」 「よくやった。ならばこのままエレベーターで最上階まで向かうとしよう。」 「翠ちゃん、エレベーターはコッチ。」 右折しようとした翠の肩を掴んで方向転換させ、叶が先を歩く。キョトン、と目を瞬いている間にもごく普通に二人は歩き出していて、軽く駆け寄った桜花はひそと叶の耳元に囁いた。 「…もしかして、方向音痴?」 「極度の。」 「何を言っている」 「しかも自覚無し。だから桜花ちゃん、翠に先歩かせたらダメだよ絶対。」 「うん、わかった。」 「――何の話だ?」 そうこうしているうちに廊下の突き当たりにあった矢張り何ら特殊なところなど無いありふれたエレベーターまでたどり着いて、叶が一番上の40階のボタンを押した。 鉄の箱が上へと動き出した頃合に、翠が桜花を正面から見つめ口を開き強い口調で「先に忠告しておくが、」とふいに呟く。 「ボスの容姿についてできる限り触れるな」 「は?…ええと、何で?」 「見たら解るよ。」 「ふぅ…ん?」 それは一体どういう意味なのか。疑問は浮かんだが叶の浮かべている苦笑や必死で目を逸らしている翠の態度はどれほど問い詰めても決して答えを教えてくれる気など無い者のそれで、 だからそれ以上問いを重ねる愚考は犯さずに、首を傾げつつも黙ってしまえば話題は途切れて、 少々奇妙な沈黙の中、小さな鉄の箱が不安定に微震し、やがてぽぉんと軽い機械音がして扉が開いた。 正面に真っ直ぐ現れたのは矢張り無機質で平凡な廊下。 しかしそれは途中で枝分かれする事無く先に見える大きな扉へのみ続いており、幅も下の階のそれよりも実感できるほどに広い。 つまりそれは、この階はこの先にいる人物のためだけにあるという事で、 翠を先導にエレベーターを出た桜花達は、その廊下を進む。 やがてはっきりと視認できるようになった扉は、今までのこの建物の印象からすれば異質であった。 観音開きの、天井までもある木製の扉。施されている彫刻は厳かであり麗美。縁を彩る模様はただの模様ではないと桜花は気づく。魔法に憧れるものならば殆どの人間が一度は目に、あるいは耳にしたことがあるだろうソレは―――ルーン文字。 洋画などでよく見る獅子を模る金色の装飾――桜花はその名称を知らないので、他に言いようが無い――が、口に銜える輪を持ち、翠が扉をノックした。 ***** TOP NEXT |