俺と同い年ぐらいだろう、その男は殺意に鈍く光りを放つ瞳を真っ直ぐ俺に向けていた。


「まあ、悪いな、死んでくれ。」 


 端的に俺は要求を述べ、しかし相手が同意してくれるはずもない。返ってきたのは返事ではなく懐にもぐりこむような姿勢から放たれた右拳の風を切る暴音だった。
 魔王との契約によって人間としての身体機能を遥に凌駕したその一撃は音速の壁を打ち貫き俺の顎を砕かんと伸びる。
 だがしかし、俺は逆にゆったりとした動作でそれを後退して避け、倒れるよう地面に崩折れ、地面についた両手を軸に伸ばした脚で相手の両足をなぎ払った。
 逆らわず地面に吸い込まれた敵は、しかし両腕をバネにし、瞬時に間合いを取って体制を立て直す。
 が、


「肉弾戦は趣味じゃないんだ」


 呟きは、すでに解き放たれた風刃の翔る低い唸りに重なった。
 銃弾さえ適わないだろう反則的な速度で敵の喉に迫った無色の刃は、しかし寸前でかざされた手の平に打ち消される。

 ―――否。
 ベルゼブブの能力を思い出して、俺は敵の能力を悟った。


「―――で? 吸収した俺の技を、どうするんだ?」


 嘲弄よりも好奇心で訊いた俺の言葉に、敵は初めて口を開いた。


「こうするんだ。」


 瞬間
 風が解き放たれた。


 十数を数えるだろう風の刃の襲来に、俺は内心焦りつつも重力場を発生させそれらを叩き落し、余裕の表情で口の端に笑みを上らせる。


「なるほど、模倣能力(コピー)か。」


 小説や漫画の中では結構ポピュラーな能力だが、実際相手にするとなると少々厄介ではある。
 ルシフェルを含む至高の魔王に近い魔王たちは、『摂取』した相手の能力や記憶をそのまま吸収することができる。
 さっきの風刃もそうだ。一応俺は今まで奪った能力も含めて三十近くの異能力を持っているし、今までもそれらをうまく使って相手を翻弄しつつ迎撃してきた。
 ―――が、こういう能力を持つ相手だとその戦法は使えない――――どころか、相手を強くしてしまう危険性もあるため、あまり種類を使うのは馬鹿のすることだ。
 一番単純な戦法は、すでに模倣された能力で応戦して、隙を突いて一撃必殺の異能力を叩き込む――――といったものなのだが、それだと時間がかかりすぎるし、何より、相手が他にどんな能力を隠し持っているかもわからない今の状況では、同じ戦法でこっちが殺られる危険性もある。

 そんな諸刃の剣を使うつもりはない。
 となれば、模倣されないように戦えばいいわけだ。
 瞬時にそこまでを計算し、俺は結果が出ると同時に呼びかけた。


「ルシフェル! 剣を出せ!」
《そうそう、やっと気がついたな》


 観戦を決め込んでいるルシフェルの喜々とした声に殺意が湧かなくもなかったが――気づいてたんなら最初から言え――俺は沸きあがりかけた憤怒を締め出し、眼前に何の前触れもなく出現した抜き身の大剣を掴み取り、一息の間に敵との間合いを詰め、その懐にもぐりこむ
 魔王と契約してるのはこっちも同じなんだ。しかも、俺の相棒は相手の魔王より格上。身体能力の向上数値で相手がこちらに適うはずもない。
 自負ではなくただ情報と事実としてだけでそう認識し、俺は使用者の全長ほどもある禍々しい魔剣を右下のわき腹から左上の肩口へ、斜めに振り上げ、その肉を抉り取り、切り裂き、暗黒の炎で傷口を燃やし、腐敗させる。

 傷自体は浅かったが、魔王の洗礼を受けたこの魔剣に、そんなものは関係ない。
 傷口は燃やされ、腐り、そして呪いのように負傷者の身体を蝕み、瞬時に破壊するのだから。
 一般人なら近づいただけで気を失う瘴気の威力は、たとえ他の魔王に祝福を受けていたとしても逃れることなど出来はしない。
 聖も魔も関係なく滅ぼす呪詛の剣がつけた傷がうごめき、体内へと腐敗と死の腕を伸ばそうとする。

 これで九割方こちらの勝ちだ。
 それでも油断せずに、俺は勝利を予感して理性を飲み込もうとする歓喜を押さえ込み、間合いの外にまで退いて侵食されてゆく敵を観察する。
 敵は、自分の身に何が起こっているのかを理解していないのか、自分の身体が腐れ落ち、腐臭を放ちだしているというのに無関心な瞳でそれらを傍観していた。

 右手でそっと傷に触れ、呪詛がその指にまで伸びてくるのをみて不快気に眉根を寄せ、手を離す。
 その瞳に驚愕や恐怖が浮かばないことに俺は驚いた。
 自分の身体を、まるで取替えのきく部品のように眺めるその男は、やがて無造作に手のひらを腐敗し続ける傷口に押し当てた。

 瞬間の喪失。

 黒く蠢いていた呪詛の具象は、それだけの動作で容易く消滅していた。
 腐食されて傷の形に崩れた服から覗く傷口は、表面の肉をごっそりと奪われていたが一秒と経たずに再生する。
 再生力は、俺より上か―――――まぁ、俺の再生力はかなり低いんだが。
 いや、それよりも


「凄まじいな。この剣の能力まで吸い取れるのか。」
今のは、吸引したんじゃなく食っただけだ。」


 褒め言葉に嬉しがる様子も無く、敵は改めて身構える。
 ―――食っただけってことは、模倣されてはいないということだな
 もちろん敵が嘘の情報を提供してくれている可能性もあったが、瘴気の塊みたいなルシフェルと契約を交わした時点で俺は瘴気が平気な体質になっている。どちらだろうと問題はない。
 そう判断を下し、俺は短い呼気を後方に残し間合いを詰めて剣を下から上へ掬い上げた。

 俺の攻撃を受けず紙一重で流れるように回避しながら踏み込んでこようとする敵の動きにあわせてそれを阻止しつつ、俺は斬撃を繰り返す。
 その全ての攻撃を柳のように避けられて、ようやく俺は相手が自分より体術の心得があるのだと悟った。
 仕方なく、俺は別の戦法を考えながら後方へ大きく跳んで間合いを取ろうとした。






 それがそもそもの間違いだった。






 いつのまにか立ち居地が変わっていたことに気づかなかったのも失態だが、着地点にまさか切り株があろうとは、
 先の戦闘で俺が作ったやつだ。


「しまっ」


 ちょうど膝ほどの高さだったその上に、座るような形で倒れこみかけた俺は慌てて身体をひねり地面に転がる。
 無理やりへし曲げられたそれは、ささくれ立ってハリネズミもかくやと言わんばかりに針のむしろと化している。その上に座ったりしたら―――どうなるかは想像に難くない。

 一瞬、不覚にも安堵しかけた俺の上に影が落ちる。
 慌てて仰向けになった視界に拳を繰り出す敵の姿を捉えて、もはや脊髄反射のみで俺は腕を交差させてそれを受け止めた。
 骨の軋む不吉な音が全身を駆け巡り、遅れて痛みが雷撃のように俺の身体を撃った。


「っつ」


 骨がきしむ音と鈍痛に思わず呻く。が、悠長に痛がってなどいられない。俺の上に馬乗りになったそいつを痛みに睨みつけてから、取り落とした剣を求めて周囲に視線をめぐらせる。
 探し物は切り株の向こう側の地面に突き刺さっていた。
 思わず舌打ちをする。この状態じゃあ、あの距離は届かない。


「余所見をしている余裕があるのか?」


 ねっとりと耳にまとわりつくその声に、俺は慌てて敵を見る。
 同時に触れる、胸の上を押さえつけるような敵の手。


「っ」


 ヤバイ
 絶望的な状況にのどの奥が引き攣る
 恐怖に強張りかける全身を無理やり動かして、俺は男の首を右手でつかんだ。


「攻撃したら、貴様も死ぬぞ。」
「それはお前が攻撃しても同じだろう」


 絡み合う視線に感じる、男の、生への執着のなさに、
 空虚さに
 俺は一瞬魅入り、それから自棄するように呼気した。


「――ハッ、なんだ――――」


 その瞳は、
 大切なものを失った――――生きる意味を見失った者の瞳で、


「同類、か、ッ」


 自分の首に手をかけているような錯覚に、俺は奥歯をかみ締めた。
 今まで戦った相手は、皆野望を抱いていた。
 生きていることになんら疑問を覚えない、そのうえで欲望に忠実な、そんな連中ばかりだった。 
 だからこそ、戦いやすかったのに――――
















「貴様は――――何故戦っているんだ」














 求めるモノも無く、叶えるモノも無い。ただ、呼吸をしていて、心臓が動いていて、身体が動くから生きている。
 ただそれだけの、生きる屍のような生。
 求めるものも、叶えるべき願いも持ち合わせていないような存在が、なぜ願いを叶えるための戦いで、命を懸けてまで戦っているというのか、
 苦々しげなその問いに、


「生きてるからだろ」


 男は平然と答えやがった。


「―――クソヤロウッ」


 自分と同じ瞳をしていて――――自分と同じ理由で殺し合いの中に身を投じている。
 思わず吐き棄てた悪態は誰へ向けたものなのか、




 ――――自分ですら、解からなかった。










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