《なぁにうだうだ悩んでんだよ、相棒?》


 唐突に、
 距離感を無視したような独特の声に、俺はびくりと肩を震わせた。

 獰猛で神聖な声は、敵の存在以上に、俺の危機感を刺激する。
 死神が哂いながら俺の首にその鎌を添えているような錯覚。
 心臓が心拍数を跳ね上げ、血液の廻りが早くなったはずなのに、一気に体温が下がっていく。

 接触している敵にそんな変化がわからないはずも無く、男はいぶかしげに眉根を寄せた。
 だけど、視覚的にはそれを理解していながら、俺は暗闇を見つめているような不安に駆られる。
 俺のことを相棒と呼びながら、敵以上に俺の意識を掻き毟るその声を、


「―――る、さい、」


 奥歯をかみ締めて締め出し、のどの奥から呪詛を絞り出す。


「俺は―――
悩んでなどいないっ


 悩むことなんて、ありはしない。
 たとえこの背にいくら疑問がのしかかろうとも、
 悩んだところで、答えなど既に出はしないのだ。







 光華が死んだ、あの日から。







 俺の応えに、
 相棒の哂う気配が耳元で掠った。


《そうだ、お前は―――――ただ、敵を殺せば良い。》


 その台詞を裏切るような、優しい、慈しみと労わりの滲む声、


《悩む必要なんか、お前にはねぇんだよ》


 光華の行動の意味も
 戦いの理由も
 悩む必要など無い―――――悩むことなど許さない。


《―――契約を交わしたあの瞬間から、》


 その思考までもが、俺様のものだ。
 言葉にしなくても流れ込んでくるその独占欲に、


「―――やはり、貴様は魔王だな。」


 自棄と自嘲と、破滅的な笑みとを浮かべて
 俺は空いていた左手に力を固めて、俺を巻き込むほどに巨大で凶悪な力の場を発生させた。

 漆黒に黒ずむ世界
 インクを零したように闇が滲む円形の場
 中心へと収縮するエネルギーの球は、一千分の一秒単位で魔力と精神と魂と肉体を崩壊させ、飲み込んでいく。


「―――っっ」


 敵が息を呑み、飛び退く気配。
 ――――――逃がすか
 離れようとしたその腕を、俺は右手でつかんで引き寄せた。


「なっ」


 てっきり俺も逃げると思っていたんだろう、眼前で驚愕を貼り付けたその男に俺は口角を吊り上げて笑い、全身の細胞がきしみ、裂ける感覚さえも快感に置き換えてしまうほどの狂気に己を染めて、その腕を自分の腕に絡み、逃さないよう爪を立てる。

 ―――――― お前、心中する気か?! ――――――

 見開かれたその瞳から言葉を読み取って、
 俺は返事の変わりに、力場へ流す魔力の濃度を増した。

 数秒の沈黙を置いて、
 俺と男の皮膚が血を噴出し、白い骨が肉を引っ掻いて弾け、絞り出した呼吸に鉄の味が濃く混ざる。

 後一秒もそこにいれば、確実に俺は死んでいただろう。
 その瞬間―――俺の限界を知っていたかのように、
 ルシフェルが俺をその力場から引きずり出していた。


「か、はっ、」
《なかなか良い方法だが、賢いとは言えねぇなぁ》
「―――る、さいっ」


 それを求めたのも、こうなるに到ったのも、
 お前のせいだろうが!
 怒鳴りたくても、肺に骨が刺さったのか、声にはならない。
 そんな俺を見下ろして、魔王は嬉しげに哂う


《まぁ、安心しろ。すぐに治してやる。》


 あたりまえだっ
 呼吸だけで悪態をつく俺の胸の中心――――契約の印の刻まれたそこに、ルシフェルは滴る血を舐め取るように口付けた。
 俺が傷を負うたびに、こいつはまるで傷を治してやる代価だとでも言うようにその血をすすり、食す。
 こいつにとって――こいつら魔王にとって、人の血は食料の一つなのだそうだ。


「っ、」 


 皮膚が爪にえぐられ、その痛みに息を詰めた。
 治療であるはずなのにこのクソ魔王は、契約印に爪を立て、腕や脚の、裂けた皮膚をえぐり、俺の血を求める。

 貪欲。

 状況も考えずに俺の血を貪るルシフェルに、俺は怒りさえ覚えて睨みつける。
 治すんじゃなかったのか傷をっっ


「っ、ばっ、か―――そんな、場合じゃっ」


 ないだろうがっ
 怒鳴りたくても声が出ない。
 その間もルシフェルは、俺が無防備なのをいいコトに、両の手を真っ赤に染め、恍惚とした表情で俺の体に牙をたて、傷口に舌をえぐりこませる。
 っ、このやろうっ、人が死にかけてるって時にっっっ
 まるで死姦でもされているかのような錯覚に、俺は怖気を立てる。


「―――さっさと治さねぇとっ! ニ度と飲めなくっ、なる――――ぞ?」


 怒気の最後は疑問に変わる。
 さっきまで呼吸だけでも辛かったのに、なんで普通に怒鳴れたんだ?
 呼吸に混じっていた鉄錆びの味が無くなったことに気がついて、俺はおそらく骨がつき刺さっていただろう肺が治癒された事を知った。


《人間ってヤツは弱っちぃからな。先に体内の破損は治したぞ?》


 ニ度と飲めなくなるのはゴメンだからな。
 人の血をその真っ赤な舌で掬いながら得意そうにそういわれて、ありがとうなんて言える奴がいたらそれは聖人君子様か変人奇人の類ぐらいだろう。
 もちろん俺はそんな大層なモンじゃぁないから、それで納得などできるわけが無い。


「だったら、さっさと治しやがれっ!」


 苛立ちその他を多分に含ませて言うが、その手足は動かない。
 こいつ、俺が抵抗するのを見越して骨とか神経の傷はほったらかしてやがる
 自分でも凶悪だろうと思う顔で睨みつけても、変態大魔王はそ知らぬ顔で


《てめぇが普段飲ませてくれないのが悪い。》


 はぁっ?!
 むちゃくちゃな屁理屈に、俺の怒りパラメーターは跳ね上がる。


「飲ませなくても無理やり飲んでるじゃないかっ! いっつもっっ」
《知るか。たまには自分から誘え》
「〜っっっ、誤解を招くような言い方をするなッ」


 恥辱と羞恥心に叫んだら、さすがに血が足りなくて頭にキた。


「あう、くそっ」


 くらくらと意識が定まらず、耳の奥で金属がぶつかるような音が警告音のように終始響く。


「っ、ば、かっ、人間は、血が足りなくても死ぬんだぞっ?!」 
《おぉ、そういえばそうだったなぁ》


 忘れてんじゃねぇっっ
 危険信号のようにちかちかと光が眼前で飛び交い、そろそろ限界だと俺は分析結果をだす。


「―――っ」
《ったく、人間は弱くて面倒くせぇ》


 不満げに呟かれた言葉を拾いあげ、遠のきかけた意識が怒りに浮上した。






「っっ、貴様のせいだろうがっっっ!!」






 ああ、くそ、
 なんで俺はこんな自己中心天上天下唯我独尊我侭変態助平魔王と契約しちまったんだ?!
 己が不幸を嘆きながら、俺は胸中で怒りと嘆きに叫んだのだった。









*****************
 TOP NEXT